絵:そねたあゆみ
昨今、旅館などに泊まると、「今朝、畑でとれたばかりの野菜です」と言って、洗ったばかりの生野菜などを出してくれることがありますよね。そういうのを見ると、「こうやって食べるのが本来の姿なんだよな」などと思いがちですが、実はそれは大きな勘違い。博多でトマトが出回り始めた大正時代、まず、最初の感想は、「大型のホオズキみたいで気持ち悪い」。次に、「赤く熟れたトマトは、煮たり焼いたりしないで生のまま食べる」と教えられても、「大根でも茄子でも煮て食べるのに、生のままというのはどうにも工合が悪い」だったとか。つまり、当時は生野菜を食べる習慣がなかったということですね。
そう言われれば、「えー。テレビなんかで、よく、とれたての野菜を『新鮮!』とか言って、その場で食べる映像があるじゃない」と思われるかもしれませんが、思えばそれは無理からぬ事なんですよ。そもそも、日本の農業は、化学肥料が登場する前は、大豆油粕、干魚などを含む動植物由来の有機肥料が主流でしたが、中でも、仏教伝来以来、長く肥料の主流であり続けたのが人間の排泄物である糞尿、つまり、今で言うところの「し尿」です。
昭和30年頃までは、地域によっては、農家から汲み取りの人が来て、お礼に畑でとれた野菜などを置いていくことがあったといいますが、こう言うと、いよいよ、混乱する人がいるかもしれません。「し尿を汲み取ってもらってお礼をもらえる?ホワイ?」と。つまり、農家にとって糞尿はそれだけ貴重な肥料だったということ。おそらく、最初は無料で汲み取らせていたのでしょう。それが、次第に農家間で獲得競争をするようになると対価を払ってでも汲み取るようになったと。(事実、江戸時代には、同じ糞尿でも、栄養価が高いご馳走ばかり食べている上級武士宅の糞尿は、庶民の糞尿より買値が高かったとか。)
となれば、大正以前は人糞有機農業の時代。いくら、作物には直接かけないと言ったところで、実際に作業していれば、まったくかからないわけもなく、たとえ、かからなかったとしても、ばい菌どころか、回虫に寄生虫、衛生的に良いはずが無いわけで。つまり、生野菜を洗っただけでそのまま食べるなどというのは、肥料を人糞に頼らなくなった現代だから出来る話なわけです。ちなみに、私は子供の頃にバキュームカーという物を見たことがある世代ですが、その頃、一度だけ、「肥溜め」という物の匂いを嗅いだことがあります。これはもう、悪臭などという生易しいものではなく、「熟成」の差でしょうか、本当に「鼻が曲がる」という表現が相応しいものでした。その、汲み取りが対価をもらう方から、代金を払って持って行ってもらう方に変わってきたのが、大体、大正期あたりから。戦中戦後の一時期を除いて、この傾向は変わらず、今に至るわけです。(小説家 池田平太郎)2017-07