(絵:そねたあゆみ)
●江戸・明治時代の焼き鳥はニワトリではなかった?
いつ日本にニワトリがやってきたのかは、正確にはわかりません。しかし『古事記』に太陽神アマテラスが天の岩戸に隠れたときに、世界が夜になり朝が来なくなってしまいました。そのときニワトリを鳴かせて朝が来るようにしたというエピソードが書かれていますから、相当古くからいたに違いありません。
しかし古事記の時代はあまりニワトリを食べなかったようなのです。(もちろんまったく食べなかったわけではない)
もっぱら闘鶏用で勝敗を占いなどに使っていたようなのです。平安時代になると、養鶏がはじまりますが、これも鶏肉を食べるためというより卵を摂るため。
じゃあ日本人は焼き鳥を食べなかったかというとさにあらず。ニワトリではなく、もっぱらキジ、カモ、ツルやハクチョウといった野鳥を食べていたのです。
江戸後期に書かれた料理本『万宝料理秘密箱』、別名「卵百珍」という本があるのですが、ご覧のとおり卵料理が103種類も載っているくらい江戸時代の人々は卵料理を愛したのですが……、鶏肉の料理は一種類だけ。それが「長崎鶏田楽」という料理。
田楽ですから、串に刺しているわけです。まさに現在に繋がる焼き鳥の元祖かも知れませんね。
●焼き鳥の元祖はスズメ焼き?
串焼きの焼き鳥はスズメの丸焼きという説もあります。スズメはイネを食べる害鳥ですから、網で一網打尽にして、串に刺しバリバリと丸かじりにします。現在でもスズメの焼き鳥を出すお店がありますが、スズメが年々減っており捕る人も少なくなっているためスズメ焼きもあまり出回らなくなっているそうです。
実は日本人が好んでニワトリを食べるようなったのは江戸時代の終わり頃、幕末の英雄坂本龍馬が暗殺前に食べようとしたのがしゃも鍋。
明治になって肉食が推奨されますが、ウシもブタも日本人はちょっと食べ慣れてない時代、鶏肉はまだ食べやすかったようです。でもニワトリはまだまだ高級。高かったんですね、そこで庶民、あるいは下層の人が食べたのがニワトリの内臓をかば焼きにしたものでした。
ちなみに欧米、特にアメリカでニワトリは安価で貧困層や黒人がよく食べる肉とされ、チキンは臆病者、コックは男性器といった隠語になったりしています。
明治の後半には焼き鳥の屋台が現れます。記録によると、出していたのはやはり内臓肉か端っこのくず肉。ウシ、ブタ、イヌ。そしてスズメやツグミといった小鳥類。これは終戦後の闇市まで続きます。
もちろん、潮流階級、富裕層はそんなものは食べません。大正時代には高級焼き鳥店が現れ、ちゃんとニワトリを出しています。洋食屋ではロースト・チキンやチキンライスを食べるようになりました。
●60年代ブロイラーが焼き鳥の歴史を変えた
終戦後もニワトリは高級という時代が続きます。それを変えたのが、昭和30年代半ば、1960年代、高度成長期の時代に入ってきた『ブロイラー』です。
ブロイラーとは「短期間で出荷できる肉用若鶏」のことで、他の地鶏等に比べて半分くらいの日数で出荷できるニワトリのこと。つまりはブロイラーで食用ニワトリを大量生産ができるようになりました。
そうなると、これまで高価だったニワトリを安価で食べることができるようになります。当然、屋台やサラリーマンの憩いの場である焼き鳥屋でも安くニワトリの焼き鳥が食べることができるようになったのです。
安かろう悪かろうと思われがちで、ときに悪評もたつブロイラーですが、安全基準も高いので安心して召し上がってほしいものです。
●豊かな時代、地鶏に注目
高級だったニワトリの焼き鳥が庶民のものになった後、日本はどんどん豊かになっていきます。それまで高級だったニワトリが庶民のものになったとき、日本経済はこれまでにないピークを迎えます。
80年代、日本がバブル景気を迎えようとするとき、地鶏ブームが起こります。「ブロイラーは嫌だ。本来のニワトリの味をある地鶏を食べたい」と庶民は思うようになります。
各地の地鶏は有名になりました。しかしバブル崩壊。時代は昭和から平成に。庶民はバブルの時代のように浮かれることができなくなりましたが、地鶏はしっかり定着しています。
しかしいま、また焼き鳥ブームがきています。居酒屋『鳥貴族』に代表される焼き鳥チェーン店の流行です。
日本では、戦後まであまり親しまれていなかった鶏肉ですが、いまや庶民の味方。たんぱく質も豊富で、ビタミンBやAもたくさん含まれています。
地鶏もブロイラーも体にとてもいいし美味しいものです。しかし……、そんな鶏肉を日本人は江戸時代の終わり頃まであまり食べなかったなんて、これも食文化の一つ。面白いですね。
(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2018-01