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武士の時代の到来   

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(絵:吉田たつちか)

 魏志倭人伝に、「邪馬台国は身分制度があって、秩序がちゃんとしてる」という記述があります。現代日本人の感覚からすると、身分などというものは、実にけしからん制度でしょうが、良い悪いは別にして、身分とはそれほど前から・・いや、おそらく、国家、集落というものの誕生とほぼ時を同じくして発生したもののように思います。つまり、「人在る所に身分有り」です。その、身分制度ですが、日本においては階層の流動化、すなわち、革命というものは、明治維新を別にすれば、ただ一度しか起きていません。それが、新興階層武士による政権の樹立、すなわち、鎌倉幕府の成立ですがその鎌倉幕府は、後の江戸幕府とは違い、最初ということもあって、徐々に徐々に基盤を確立していったという特徴があります。(それゆえに、はっきりと「ここから!」と言えるわけではなく、最近では鎌倉幕府成立の年代が、源頼朝が征夷大将軍に就いた1192年ではなく、実質的に、日本の支配権を手にした1185年に変更されました。)

 ただ、これを階級闘争という観点で見た場合、私は武士革命の端緒は鎌倉幕府成立ではなく、1159年の平治の乱後の平清盛の台頭に始まると思っています。その後、戦乱を経て源頼朝により鎌倉幕府が開かれるわけですが、これで、鎌倉時代が始まった・・・というのもやや早計で、当時はまだ、鎌倉幕府はあくまで京都の朝廷を中心とする日本の一部に、武士だけの自治政府を樹立したというところだったでしょう。で、私が本当に鎌倉時代が到来したと思うのは、幕府の実権が将軍から執権北条氏に移った後に朝廷軍を幕府軍が撃破した承久の乱(1221年)からだと思います。朝廷側は北条氏追討を宣言すれば、たちまちのうちにかつての平将門のように討ち取られ、関東武士たちも帰順すると思っていたのかもしれませんが幕府軍は意に反し、進撃を開始。朝廷軍を撃破し、逆に、主謀者の上皇や、その系譜に連なる皇族、貴族らが次々に処罰され、ここに朝廷と幕府の関係逆転は確定します。

 さらに言えば、その後も、まだ、朝廷の力は必ずしも完全に無力にはなっておらず、そのことは後醍醐天皇による建武の新政が成功し、鎌倉幕府が滅亡したことが如実に物語っているでしょう。最終的に武士の優位が確定するのは、1368年、室町幕府三代将軍足利義満による応安大法令以降のこと。つまり、武士による朝廷貴族への階級闘争は、鎌倉期だけのことではなく、1159年の平清盛に始まり、鎌倉幕府成立、承久の乱を経て、応安大法まで200年に渡る闘争の結果だったわけですね。

(小説家 池田平太郎)2020-02

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