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家康の家臣教育法 

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(絵:吉田たつちか)

 今は上司受難の時代だそうですね。ある支店長が、部下を叱責したら、その部下が本社のパワハラ相談室に電話して、逆に支店長のほうが飛ばされた・・・という話もあるとか。じゃあそんなこと言ったら、部下の機嫌を取るばかりで叱らなくていいのか?という声が聞こえてきそうですが、この点でもっとも参考になるのは徳川家康の家臣教育法でしょう。
 家康という人は、部下に指示を与えるとき、始めはハキハキと話していたのが、途中から怪しくなってきて、最後は口の奥の方でモゴモゴとなるんだそうです。家臣が「すみません。最後の方がよくわからなかったので、もう一回、お願いします」と言うと、「おお、そうか」と言って、再び話し始めたら、また、途中から怪しくなってきて、やっぱり最後は口の奥でモゴモゴ・・・と。いつの時代もそうですが、上司相手にそう何度も聞き返せるものではないですよ。家臣も仕方ないから、「はぁ」と言って、後は自分なりに解釈して行動に移していたが、それで特に何も言われなかったので、ずっと、そうしていたと。
 これすなわち、家康は物事を明確に指示しないことで、家臣自らに考えさせようとしたんですね。当時は今と違って電信設備などありませんから、使いに出た家臣もとっさの判断が求められることがあったわけで。(事実、私の友人の東京の町工場の社長は、福岡にいるときに社員から「エレベーターに閉じ込められました。どうしましょう?」という電話がありました。すべての思考を社長に委ねていると、現代でもこういうことが起こるという好例かと。)
 ただし、ここで大事なことがあります。それが、「意図したところと違っても怒らない」ってこと。中には、家康の意図と違ってしまったケースもあったはずなんですよ。しかし、家康はそういう場合でも、おそらく、素知らぬ顔で何も言わず我慢していたのでしょう。怒ってしまうと部下は恐ろしくて、以後はもう自己判断できなくなってしまい、過度にそういうことが続けばノイローゼだ、逆恨みだってことにもなりますよ。
 よく、徳川家臣団のことを「忠誠無比の三河武士団」などと言いますが、それは多分に結果論であって(事実、家康の祖父は家臣に殺されています。)、つまりは、こういう家康の辛抱強い家臣教育あってのことだったと。
 ちなみに、清水次郎長という人は、子分を叱るとき、誰もいないときを選んで叱ったとか。一寸の虫にも五分の魂で、どんなチンピラでもプライドというものがあるわけで。逆に、私の知り合いには、同じ失敗を繰り返さないように本人のために皆の前で叱る・・・という人もいましたが、立派なこと言っても叱る側の自己満足が見えてましたよ。
(小説家 池田平太郎)2020-06

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