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飲み物たちの歴史

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(絵:吉田たつちか)

●人は水のみで生きるにあらず
 食文化研究は食べ物が中心で飲み物は第二になりがちですが、人間は何も食べないでも水さえ飲んでいれば2週間以上生きられるそうなのですが、水がなければ4~5日持たないくらい大切なもの。
 そして食べ物に多くの料理バリエーションがあるがごとく飲み物もたくさんのバリエーションがあります。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉がありますが「人は水のみにて生きるにあらず」でもあるのです。
 さて人類の記録上、水や白湯以外でどのような飲み物があるでしょうか? これは以前にも一度述べたことがあるのですが、それはビールやワインだといわれています。
 「人類が農耕を始めたのはビールやワインを飲みたかったから」という説があるくらいです。まだ農耕がはじまったかはじまっていないかという1万2千年前に作られた現在のトルコにある世界最古の遺跡『ギョベックリ・テペ』で発掘された器には小麦を発酵させた痕跡があるといいますから、あながち嘘ではなさそうです。

●お茶の登場
 人類が料理をはじめてから、当然スープや汁物は作られていましたが、飲み物らしい飲み物の登場はやはりお茶でありましょう。
 お茶が歴史に登場するのは3世紀頃、場所は中国、ちょうど三国志の時代です。当時のお茶は大変高価なものでしたが時代が過ぎるうちにどんどんと中国中に広まり、唐の時代(618~907年)になると、お茶は全中国で飲まれるようになります。
 お茶が日本に伝わったのは奈良時代から平安時代にかけて。日本に伝わったお茶は茶道という日本独特の文化をもたらしました。
 中国発のお茶は、17世紀に東南アジアに進出していたオランダの東インド会社からヨーロッパに伝えられます。
 やがてイギリス人たちは、お茶に砂糖を入れて楽しむという方法を発見します。18世紀、イギリス東インド会社が中国茶のヨーロッパへの輸入を独占するようになり大儲け。世界に冠たる大英帝国は大繁栄。
 一方、その頃はまだイギリスの植民地だったアメリカにお茶への重税がかかり、それに反発したアメリカ人たちが大激怒。やがてそれがアメリカ独立戦争へとつながるのですからたかが飲み物というべからず。飲み物も歴史を変えるのです。

●コーヒーが世界に広まった
 多く怒ったアメリカ人たちはお茶(紅茶)をやめ、コーヒーを紅茶の代替品として飲みだします。さてこのコーヒー、歴史上登場したのは10世紀の頃、アラビアの医師が強心剤や利尿剤の薬として使っていたというもの。コーヒーはまずアラブ社会で飲まれるようになります。
 そのコーヒーがヨーロッパに伝わったのは17世紀初め。それまでアラブ社会、つまりイスラム教徒の飲み物だったのが、ローマ法王が「この飲み物を異教徒のみが飲むのはもったいない」といい、ヨーロッパのキリスト教徒たちが抵抗なく飲めるようになったといいます。
 やがてコーヒーを飲ますお店「コーヒーハウス(喫茶店)」がヨーロッパに登場。男たちの社交場となり、男たちはコーヒーハウスで政治や芸術論を話し合う社交場となります。フランス革命前のパリではコーヒーハウスは「カフェー」と呼ばれ、このカフェーでフランス革命を起こす革命家たちが政治談議に花を咲かせたとか。
 日本におけるカフェーは明治時代にはじまりましたが、ヨーロッパのカフェーでは女人禁制、給仕も男性だったのに対し、女給を置いたため、いまでいうキャバクラのようになりました。
 日本の場合、太平洋戦争が終了したあとでもカフェー、喫茶店は不良が行くところ、中高生は行ってはいけない場所となったのは、そういう歴史があったからです。

●清涼飲料水の登場
 ジュースやコーラに代表される清涼飲料水は最初、天然の炭酸飲料がはじまりとされています。
 清涼飲料水として売られるようになった最初は、17世紀にレモン水もしくは炭酸飲料にレモン果汁、砂糖やはちみつを混ぜた『レモネード」が最初。
 日本の清涼飲料水は江戸時代に、お水に砂糖を入れたものを『冷や水』として売っていたといいます。
 現在の清涼飲料水の代表格『コカコーラ』は、19世紀末のアメリカ。開発したのは薬剤師で最初は薬として売られていました。初期のコカコーラには麻薬のコカインの原料が入っており、うつ病などの薬として売られていました。(当然、現在は麻薬の原料は入っていません)
 ペプシ・コーラも最初は胃腸の薬として開発されたもの。飲み物の文化もいろいろあって面白いですね。

(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2020-07

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