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失意の時の友こそ真の友  

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(絵:吉田たつちか)

 西郷隆盛や岩崎彌太郎といった人は、それぞれ、島津斉彬、吉田東洋という人に見出され、密偵のようなところからスタートした人ですが、密偵の資質としては、頭脳と度胸・・・ともう一つ、悪い情報でも上に上げる剛腹さがあります。この点を、フン族を率いたアッティラ大王は「悪い報告をした部下を褒めよ。悪い報告をしなかった部下を罰せよ」と言ったと。しかし、いつの時代も、上司が不機嫌になる報告というのは、たとえ、後で問題になるとわかっていても上げたくないのが人情。結果、放っておくとトップには耳障りな話、まずい話というのは入ってこなくなり、気がつけば、裸の王様になっている・・・。
 この点を憂慮し、黒田如水の黒田家では、殿様が「裸の殿様」にならないように、重役会議の席上で殿様に耳が痛い話をする「腹立てずの会」というのをやったそうです。でも、まさか智将如水に文句は出ないだろう・・・と思っていたら、結構、出たそうで、それが、「人の話を最後まで聞け」だったとか。(名将・小早川隆景は如水に対し、「貴殿はあまりに頭が良く、物事を即断即決してしまうから後悔することも多い。私は貴殿ほど優秀ではないので、十分に時間をかけたうえで判断するから案外後悔が少ない」と言ったとか。田中角栄も同様のことで盟友・大平正芳からたしなめられたという話も。頭の回転が速い人には共通する現象なのでしょう。)
 で、この腹立てずの会ですが、結局、長続きはしていないんですね。やはりトップに対して嫌ごとを言うのは勇気がいることで、普段、「悪い情報を伝えろ」と言っている人に限って、いざ、伝えたらと怒る・・・と。(ある医学部教授が「手術で私の腕に衰えが見えたら言ってくれ。第一線を退く」と言ったので、衰えを指摘したらすぐに飛ばされた・・・という話も。)部下も自分がバカ見るなら言うだけ損で、トップの側が我慢強く維持していくことを留意しないと・・・。
 一方、三十代の徳川家康は、武田信玄と激闘を繰り広げている間、殆ど主要家臣に裏切り者を出していないんですね。恐るべき統率力です。その秘訣の一端を垣間見る話があり、家康が腹心の家臣と打ち合わせ中、別の家臣が意見具申に来たところ、家康は打ち合わせを中断して話を聞いたと。で、その家臣が退出した後、腹心が「別に大した意見ではなかったですな」と言ったら、家康は「わかっている。用いる、用いないは別として聞いてやらないと言ってこなくなる」と言ったとか。しかし、実際には、家康もかなり面倒臭かったはず。ただ、少なくとも、すぐに「それはわかってる」と言う如水とは対照的で、こと辛抱という点では家康が一枚上だったということかと。

(小説家 池田平太郎)2020-11

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