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「共有」こそが、アマビエの狙い

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(絵:吉田たつちか)

コロナ禍で一躍有名になった妖怪をご存知でしょうか。それは「アマビエ」です。江戸時代後期、現在の熊本県にあたる肥後国の海上に突如現れ、豊作と疫病の予言をし「私の姿を描き写した絵を早々に人々に見せよ」と告げたとされています。
 さて、ここで疑問です。絵を見せたところで何が起きるのでしょうか。これをアマビエは教えてくれません。それでも、アマビエと出会った人は姿を描き写し人々に見せました。その絵が約200年経った今でも愛されています。現代の絵師も様々なアマビエを描き、人々と共有しています。
 この「共有」こそが、アマビエの狙いだったと考えられます。疫病が流行る不安定な時代だと、どうしても孤立しがち。それをアマビエの絵姿を共有することで、誰かとつながれるのです。ただ消費されるイラストレーションではありません。誰かが祈りのために描いたアマビエなのが良いのです。
 祈りはとても勇気を沸き立たせるものでもあります。他者への思いやりの心が祈りであり、これを受け取るのも送るのも自己肯定感を増す作用があります。自分が誰かの役に立てている、自分は誰かに元気をもらっていると分かるからです。これも孤立を防ぐ作用があります。
 そして何より、アマビエの存在が良いのです。一見、何一つ対策を告げず役立たずのように感じられるでしょうが、寄り添う存在としては優秀です。何も言わないことで、受け取る人の想像にアマビエの存在価値は委ねられます。それはとても自由なのです。何にも制約されない、広がりのある存在です。
 自由だからこそ、自分の心持次第で邪悪な存在にもなるでしょう。何の対策も言わず、何もしなかった妖怪に、憎しみを抱くのもアリです。アマビエは怒らないはずです。現実世界の人間に憎しみをぶつけるぐらいなら、アマビエにぶつける方が平和です。物を語らないからこそ、憎しみを受け止める存在にもなりえます。
 このようにアマビエはお告げをしなかった分、とても自由に人々のつながりを生む存在になりました。これでもし何かお告げをしていたなら、多くの人には愛されなかったでしょう。そのお告げを受け入れられない人もいますからね。
 寂しくなったり不安になったりしたら、アマビエの姿を思い出してはいかがでしょうか。きっと、あなたも受け入れてくれるはずですよ。

(コラムニスト ふじかわ陽子)2021-06

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