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日本の家庭に入ってきた洋食文化

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(絵:吉田たつちか)

 異文化が交流するとき、そこに生まれるのが食の文化交流です。日本の場合、明治時代と、終戦後にそれが起こりました。西洋や中国といった国から、さまざまな料理が日本に入ってきて、おそらくこれは日本独特だと思うのですが、海外の料理は、日本風にアレンジされ、外食だけではなく、家庭料理として家の中にまで入ってきました。
 日本人はそれを「洋食」といいました。今回はそんな洋食について述べてみたいと思います。
 海外から入ってきた食べ物が、日本の家庭料理として居つくには、ひとつの大きな壁がありました。それが【白いご飯のおかずに合うかどうか】です。外食はともかく、家庭料理として、これは絶対に必要なことでした。
 終戦後、日本人の栄養バランス向上のため、キッチンカーによる料理指導が行われました。そこでタンパク質や油分が不足がちだった日本人のために「一日一回フライパンで料理をしよう」をテーマに指導がなされていました。
 フライパンに必要なものといえば油で、そこから洋食には欠かせないサラダ油が広まります。当時、サラダ油は高価なものでしたが、おいしいものを家庭で食べたいという欲求から、広まっていったのです。また、戦後の時代、欧米に憧れる日本人にとって、家庭で食べる洋食はちょっとした贅沢な食品でもありました。
 そして洋食の代表格である「コロッケ」が、各家庭で作られるようになります。ただしコロッケに味噌や醤油はちょっと合いません。コロッケが広がると同時に、ウスターソースも広がることになります。ウスターソースをかければ、どんなものも西洋風になることから、庶民の中には、ご飯にソースをかけて食べることも流行ったとか。
 フライパン、サラダ油、ソースとくれば、次は「トンカツ」ですが、戦後豚肉はまだまだお高いもの。そこでお母さんたちは、ちょっと工夫をします。豚肉の代わりにハムを使った「ハムカツ」も盛んに作られるようになります。
 また豚肉がお高いなら、庶民の味方、大衆魚のアジをつかった「アジフライ」も一般化。すでに和食にあったエビの天ぷらのアレンジとして「エビフライ」が誕生。日本人はエビが大好きな民族らしく1962年(昭和37)には、冷凍食品のエビフライも発売されるほど。これが大ヒット商品になり、わずか10年で揚げ物の冷凍食品の約40%もが、エビフライが占めるまでになりました。ただ当時の冷凍エビフライは、衣ばかりで(中には衣が80%以上の例も)、クレームが起こり、1978年(昭和53)に冷凍エビフライの衣率を50%以下にする規格ができました。
 卵料理が家庭に一気に広まったのは1960年代。これまで養鶏場では放し飼いにしていたニワトリをケージで飼うようになり、卵の大量生産が可能になりました。同時に現代価格でいうと、一個200円もしていた卵の値段が急速に安くなっていったのです。卵が安くなることで、卵を使った洋食も家庭に広まります。「オムライス」などもその一つ。オムライスといえば、トマトケチャップですが、戦前は珍しかったトマトも、戦後、ビニールハウスが農地に使用されるようになり、一年中採れる野菜となることで、お値段もお手頃に。
 トマトケチャップが家庭に入ってくることで、チキンライスやナポリタンスパゲティといった洋食も家庭に入ってきます。スパゲティが家庭に入ってくるということは、大型のフォークが家庭に入ってくるということでもありました。
 またカレーライスの普及によって大型のスプーンが。ホットケーキによってナイフとフォークが家庭でも使われるようになりました。
 かくのごとく日本で独特にアレンジされて広まった「洋食」は、もはや日本の食卓にかかせないものとなったのです。


(食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ))2021-08

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