(絵:吉田たつちか)
人類学者であり食文化研究家でもある石毛直道博士がいうには「食通と言われる人びとは自分の人生を不幸な局面に追い込んでいるのではないか」と語っておられます。
ここでいう「食通」とは「プロの料理人たちが作ったうまいものを追求したあげくに、一流品ではないと満足できない洗練された舌をつくってしまい、味の批評家になってしまった人びとのことである」と・・・(石毛直道 食いしん坊の民俗学:中公文庫より)
なるほど、味に敏感になればなるほど、自分が期待する味にめぐりあうことは少なくなり、食事のたびにガッカリしてしまうことが、多くなるというわけです。
これは食通や美食家と言われる人だけでなく、好き嫌いが多い人にも当てはまりそうです。
どんな人にも「好き嫌い」はあります。しかしそれが激しすぎると、食べる物の種類が限られ、健康に悪いだけではなく、場合によっては人間関係まで壊してしまいかねません。
例えば世界を旅してみると、各民族の日本ではとても味わえない料理が出てきます。
そういう料理に、普通は警戒心を抱き「食べず嫌い」になってしまったり、現地で知り合った人が「これ美味しいよ」とご馳走してくれる場合もあります。
このときに「ごめん、食べられない」と言ったり不味そうな顔をすると、相手の心遣いを無にするだけではなく、相手をガッカリさせてしまうでしょう。
一方(たとえ美味しくなくても)美味しそうな顔をして、他の人と一緒に食事をすると、相手との距離を縮めることができ好感度が高くなるのです。
さて話を戻しましょう。
石毛直道博士は「あまり美味しいものばかり追求するのはどうか?」と、行き過ぎた食通や美食に注意をしました。「おいしい」の反対は「まずい」です。気取った美食家になると、お金がかかるだけではなく「まずい」ものが増えてしまうのです。ミシュランガイド3つ星の和食料亭「菊乃井」三代目主人である村田吉弘氏は「美食は不幸のはじまり」といいました。
私たちが一日三回食べるもののほとんどは、ごく普通の家庭料理であったり、普通の食堂の料理です。
それらごく普通の料理を、いかに「おいしく」、いかに「おいしそうに」食べるということが、幸せに近づく一番の方法と言えるでしょう。
『孤独のグルメ』という人気ドラマがあります。主人公が仕事の合間に、ひとりで立ち寄った飲食店で、好きなものを食べるというストーリーなのですが、立ち寄る飲食店は特に一流ということもなく、グルメとは言い難い町の食堂なのです。そんな何でもないドラマが大ヒットしたのは、主役の俳優(松重豊)さんの食べっぷりよく、それだけで美味しそうなのです。
美味しそうに食べる、人はそれだけで幸せそうに見えます。そういう人には他人が寄ってきて本当に幸せになっちゃいます。実際美味しそうに食べる人はモテるんです。
美味しそうに食べるには、マナーが必要です。すごい美人女優さんが食レポをして、食べ方が汚いために「ガッカリした」と言われることは少なくありません。
さて皆さん、料理を楽しむのは何も一流のお店の料理に限りません。毎日の食事を美味しく楽しくいただきましょう。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)23-10