グリム童話で有名な『白雪姫』は、世界中で愛されているお話です。雪のように肌が白く美しいお姫様が継母に疎まれ城から追放されるも、紆余曲折あって王子様と出会い幸せになるという、シンデレラと並んで昔の女性のサクセスストーリーといえるものでしょう。
白雪姫は幸せになりましたが、彼女を追いだした継母はというと幸せになれませんでした。彼女もまた美貌の持ち主で、白雪姫の父親に射止められ本来なら幸せになれたはずの存在です。それなのに何故、継母は幸せになれなかったのでしょうか。
その原因は魔法の鏡です。継母を「世界一美しい」と褒めていたはずの魔法の鏡が、不幸の原因と聞いてもピンとこないかもしれません。では、美の基準というものを考えてみましょう。多くの人が美しいと感じる人は存在したとしても、「あばたもえくぼ」や「蓼食う虫も好き好き」といった諺から見られるよう、美醜の基準は人それぞれ。分かりやすい例をあげると、昔の美人画を見ても現代人の私たちはピンとこないですよね。このように、個人の趣味嗜好だけでなく地域や時代によって美の基準は変わっていきます。それなのに、継母は魔法の鏡に美の基準を置いてしまったのです。法律で決まっているわけでも、倫理に反するわけでもないのですから、自分で決めて良いものであるにも関わらず。
自分の基準、意見を持っていないからこそ、継母は魔法の鏡に問いかけたのでしょう。もしかすると、自分の美に自信がなかったのかもしれません。誰かから「世界一美しい」と言ってもらわなければ、怖くて怖くてたまらなかったと推察できます。この恐怖が白雪姫への攻撃となり、最終的には自身までも焼き尽くすものになってしまったのは皮肉なことです。誰かと比べることなく、自分の中の美の基準を持っていれば、魔法の鏡の言葉に左右されることはありませんでした。
現代でも継母と同じタイプの人が少なくありません。インターネットの世界をのぞけば、SNSで「イイネ」を求める人がわんさかいます。しかも広告がつけば収入にもなりますから、自分が「イイネ」と思っているのか分からなくなっても「イイネ」を求め続けることに。常に他人の目を気にしながら生活するのは、とてもつらいことでしょう。
幸せな生活を送るには、自分の中の「美の基準」を持ち誰にも振り回されないことが大切だと、童話『白雪姫』は継母を通して教えてくれている気がします。
(コラムニスト ふじかわ陽子)2024-10