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中国料理の謎

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15-10-1●ようかんってなんで羊羹って書くの?

ふとテレビを観ていると、羊羹(ようかん)で有名なある和菓子店が、建て替えのためしばらく休業というニュースをやっていました。
そのときふと「ようかんのことを、なぜ羊の羹(あつもの)って書くのか知らない人も多いだろうなあ」と思い、そこからようかんや中国料理の歴史について書こうと思いつきました。
ようかんは、平安時代の終わりぐらいに、中国から入ってきたとされているのですが、あいにく当時の日本は仏教の影響で、肉をおおっぴらに食べなくなっていました。さらに日本には、羊を飼って食べるという風習もありませんでした。
そして当時、美食をリードしていたのは、お寺の精進料理。
精進料理はお坊さんが食べるために開発された料理ですから、当然お肉は含まれません。そのかわり、当時のお坊さんたちは、お肉の代わりになるものを作り上げます。
その例が『がんもどき』。これは鳥の雁(がん)のもどき料理です。「もどき」とは、似ているけど偽物という意味。羊羹は、羊のスープを作るときにできる「煮こごり」を真似て作ったようです。
羊羹の煮こごりを真似た精進料理が、すでに中国にあったのか? あるいは日本で開発されたのかはわかりませんが、少なくとも日本では、羊のスープが冷めたときにできる煮こごりを真似たものを『羊羹』と呼ぶようになったと言われています。おもしろいですね

●宋の時代、牛肉や豚肉はあまり好まれなかった謎

明治大学の張競教授の『中華料理の文化史』によると現代の中国では、お肉の値段の高い順に並べると、牛、鶏、豚、羊という順番になるそうです。
しかし、宋の時代( 960年~1279年) では、牛肉や豚肉はあまり食べられていなかったといいます。
理由は、牛は農耕のトラクター代わりに使うため、食用が禁じられていたことと、豚は犬や猫のエサ用の安い下等な肉ということで、あまり好まれなかったといいます。
宋の時代の書物には、豚肉のことを「「泥みたいに安く、金持ちは見向きもしない」と書かれており、いつの時代でも、金持ちより貧民が多いのが普通ですから、庶民の食べ物だったのでしょうね。
現在の中国では「四本足で食べない物は机と椅子だけ、二本足で食べない物は両親だけ、空を飛ぶ物で食べないのは飛行機だけ、水中に居る物で食べないのは潜水艦だけ」とすら、言われるくらい、なんでも食材にしてしまう中国料理ですが、宋王朝の時代に、豚肉が下等とされたのは、おそらく中国の漢民族は、4世紀の頃から、北方の遊牧民に支配されることが多く、宋王朝は漢民族の王朝ですが、金持ちが羊を好むのは、そういった遊牧民の影響があったと考えられます。

●大昔の中国では、炒め物は一般的ではなかった

現代でこそ中華鍋で強い火力で作る炒め物が、中国料理の代表格となっていますが、炒め物は比較的近代になってから、中国の代表的料理法になったと言われています。
なんでも明王朝の時代以前の料理書に「炒」という字が入った料理は、あまりなく、現在のように代表的な料理法ではなかったようです。
と、いうことは、中国料理に炒め物が代表的存在になったのは、中国最後の王朝である清王朝以降のことであるようです。

●日々変化する中国料理

中国4000年という言葉があるくらい長い歴史がある中国ですが、近年、中国の料理は大きく変化しました。
例えば、エビチリソース、麻婆豆腐、担々麺といったピリ辛で有名な四川料理ですが、中国で食用唐辛子の栽培がはじまったのは18世紀から。
麻婆豆腐は、100年ほど前に、陳麻婆と呼ばれるおばあさんが、作ったのが最初。
エビのチリソースは、60年代、 陳健民(テレビによく出てくる中国料理人の陳健一さんのお尊父)という日本に移り住んだ中国料理人が、「乾焼蝦仁」(カンシャオシャーレン)を日本人向けにアレンジして作ったもので、昔の中国にケチャップなどないことからわかるように、明らかに現代料理です。
中国の北方では、長く小麦とトウモロコシが主食でしたが、80年代以降の経済開放政策により、人々は米の摂取量が増えているとのこと。
ちなみにトウモロコシは、大航海時代にコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち帰ってから、いつの間にか中国に渡り、米の取れにくい中国北方の主食となっていたようです。
大きな影響を与えたのは、20世紀末に長くイギリスに支配されていた香港が中国に返還されたときからで、欧米の影響を強く受けた香港料理が、中国全体でブームとなりました。
そしてグローバル化した中国料理は、いまも日々変化していると言っていいでしょう。
(食文化研究家・巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)2015-11

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