よく、時代劇などで主人公が颯爽と白馬に跨がり・・・というシーンがありますよね。でも、ああいうサラブレッド型の馬というのは実は明治以降、軍馬増強の観点から洋馬と交配させて作られた物で、従って、江戸時代以前に武士が乗っていた日本在来の馬というのは、飼い主に良く似て、足が短く、よく粗飼に耐え、険しい山道での運搬に向く・・・と。まあ、長年、同じ島に暮らしていただけに別におかしな話ではないのでしょうが(笑)。
ただ、当時の日本には去勢という習慣が無かったため集団戦には不向きで、万延元年(1860年)、フランスが日本で購入した駄馬を北部中国に移送しようとして、「船上で起きた馬の暴動のために、政府は最初に船積みした馬の四分の三を失った。気性の激しいポニーたちは囲いをぶち破り、行く手のあらゆるものを打ち倒し、噛み、ひき裂いた。ヨーロッパ人の船員は重傷を負い、激昂したケダモノと同乗するのを拒否した。一週間の航海ののちに、無事に上海に着いたのは三百頭中わずか六十頭しかいなかった」となってしまったとか。さらに言えば、飼い主には馴れていても、他人には結構、獰猛だったようで、同時期に来日した外国人の中には、日本の馬が乗り手を放り出したり、噛みついたりすることから「始末に負えない獣」と書き残している者もいるほどです。
ではなぜ、日本では去勢術が定着しなかったのかといえば、無論、繁殖の為というのは当然としても、一面、泰平の世に慣れた幕末期の日本人は馬に限らず家畜は家族の一員という側面もあったようです。同じ時期、外国人に牛を売った男が食用にされると知ると、金を持って返してくれと言ってきたという話も伝わっていますから。
そう考えれば、武田信玄の騎馬軍団が西部劇の騎馬隊のように横一列に並んで一斉に騎馬武者だけで突撃するというのを想像するのはちょっと違うわけですね。
また、これは主に西日本での話だろうと思いますが、戦国期に来日したキリスト教の宣教師は「この国では戦いの場所までは馬で行くが戦闘が始まると馬から降りて戦う」、「変わっている」ということを記しており、馬上突撃どころか、馬に乗ったままの戦闘自体が一般的ではなかったことが窺われます。これは去勢の有無もながら、一つには馬という物が高級品だったということもあるのでしょう。
つまり、馬とはそれが持てるような身分の武士だけが乗れる高級車のような物で、現代で言うならば、暴走族が喧嘩の場所にはベンツで行かないというようなものでしょうか。(小説家 池田平太郎)2010-10