UA-77435066-1

日本が生んだ和製洋食クリームシチュー物語

 | 

1511-12-1●終戦後の子どもたちのために生まれたクリームシチュー

クリームシチューは、ヨーロッパ生まれの食べ物と思っている人がほとんどだと思います。しかし実のところはさにあらずクリームシチューは、戦後、日本で生まれた食べ物なのです。
明治5年に発行された西洋料理の紹介本、仮名垣魯文著『西洋料理通』には「スチュードビーフ」や「スチュードポーク」、いまでいうビーフシチューやポークシチューはすで紹介されていましたが、鶏を使ったシチューは紹介されていません。
明治8年になると、当時は西洋料理として理解されていた牛鍋屋に『シチウ』のメニューが出ている。これは牛鍋屋だけに、おそらくビーフシチューであろうと推測できます。
そもそもクリームシチューとは、鶏肉に生クリームか牛乳で煮込むもの。
日本は大昔から鶏を食べる習慣がありましたが、牛乳を飲む習慣はなかったのです。

●日本人はいつから牛乳を飲むようになったのか?

日本人が、牛や豚といった家畜を食べる習慣がほとんどなかったことを知る人は多いでしょう。しかし、それに比べて鳥は比較的よく食べられていました。
幕末の英雄、坂本龍馬が、襲われる直前に、下僕に軍鶏を買いに行かせて、それを軍鶏鍋にして食べるつもりが、食べる前に暗殺されてしまったのは有名な話しです。
やがて明治になり、文明開化ということで、肉食の習慣が欧米から入ってきます。
最初は抵抗があった肉食ですが、明治時代になり、牛鍋やトンカツが発明されたりして、少しずつ肉を食べられるようになっていきます。しかし、すぐにお肉大好きになったのではありません。明治16年、豚肉の消費量は日本平均で年間わずかに4グラム。つまり、ほとんどまったく食べていませんでした。大正10年で500グラムを超えたものの、500グラムといわば、現在のスーパーで1パック程度しか食べておらず、昭和35年になっても、わずかに1,1キログラム程度でした。現在では11~12キロほど食べているようです。
そんな日本人ですが、肉と同じくらい苦手としたものがあるのです。
それが『牛乳』でした。
万葉の昔、皇族が牛乳を飲んだり、牛乳からチーズのようなものを作ったという記録は残っているものの、一般的日本人は牛乳も乳製品も飲みませんでした。
また江戸時代は薬として飲まれることもあったようです。
昔から牛乳というものは「牛の子どもが飲むものであって、人間が飲むなど気持ちが悪い」というのが、一般的な日本人の感覚。幕末に欧米人が牛乳を飲みたいと幕府役人に申し出ても「牛の乳は人の飲むものではない」と、肉食への嫌悪以上に、牛乳を飲もうとする欧米人の食文化が理解できなかったようです。
明治時代になると、文明開化の波とともに、庶民もほんの少しずつですが、牛乳を飲むようになりました。

●クリームシチューは戦後誕生した和製洋食

さて、我々が現在美味しくいただいているクリームシチューですが、どうやらこの食べ物が一般に広まったのは、戦後になってから。
戦後、栄養不足の子どもたちのために、アメリカのユニセフや支援団体からの援助で、給食で脱脂粉乳(スキムミルク)が使われるようになりました。
当時の脱脂粉乳は、臭いがひどく決して評判のいいものではありませんでしたが、この脱脂粉乳を現材料にした『白シチュー』というものが給食に出されるようになり、やがてレシピがテレビ等で紹介されるようになりました。
残念ながら、私個人は、この『白シチュー』を食べたことはないのですが、この『白シチュー』が、後の『クリームシチュー』の原型になります。
1966年(昭和41年)、ハウス食品が『クリームシチューミクス』という商品を発売します。
この『クリームシチューミクス』はカレールウを参考に開発しただけに、作り方や材料はほぼ一緒。おそらくこの作り方や材料をも含めて、当時の人に馴染みやすかったのではないでしょうか? 『クリームシチューミクス』は大ヒットとなり、やがて日本の食卓での定番料理となったのです。

何気なく海外から直輸入された料理と思いがちなクリームシチューですが、案外、日本で開発された和製洋食だったのですね。
日本に来て、クリームシチューを初めて食べた欧米人にも大好評だそうですよ。

(食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)

コメントを残す