
(絵:そねたあゆみ)
●江戸時代も明治維新後も天皇家の食事は質素だった
江戸時代、皇室は徳川幕府から約3万石ほどの収入を得ていました。3万石というのはいわゆる小大名並の収入ですから、小大名並の料理を食べていたと思われます。
ただ、経済的には大変だったようで、豪華なものを食べていたわけではありません。むしろ大変質素であったようです。
天皇家は明治以降、日本の大財閥である三井、三菱、住友、安田の4大財閥を合わせた資産よりもはるかに多い世界有数の大資産家になります。それでも江戸時代からの伝統で、食事は質素なものでした。
これは天皇家に限らず、江戸時代に大大名であった家が、明治維新後、華族になるような家柄でも、やはり質素であったといいます。
日々、我が国において、毎日豪華な食事をするのは成り上がり者ということなんでしょうね。
●昭和天皇はどんなものを食べていたのか?
太平洋戦争中、日本は深刻な食糧難でした。
そんな時代、それまで皇室ではイワシやサンマ、サバのような大衆魚が食卓に上ることはなかったのですが、この食糧難の時代、そういった大衆魚も天皇家の食卓に出されるようになります。
理由としては、たんに食糧難であっただけではなく、昭和天皇ご自身が闇市で食料を買うことを禁じたためであったといいます。
そして昭和天皇は、イワシやサンマ、サバのような大衆魚を大変気に入っていました。
ちなみに昭和天皇の好物は『鰻のかば焼き』で、ある記録によると昭和59年に鰻の蒲焼を食べた回数は22回に対して、サバの味噌煮は12回あったといいます。
戦後の食糧難のときは、毎日ムギメシであり、これは晩年まで続きました。またパンはというと、小麦粉に大豆粉、トウモロコシ粉、干し草粉やドングリ粉を混ぜた質素なもの。
これは一度白いパンがでたときに「国民に対して忍びないから」と、混ぜ物のパンを求められたらだそうです。
昭和天皇のお人柄がわかるエピソードですね。
和食担当として、宮内庁の厨房に、26年間務めた谷部金次郎氏によると、朝はオートミールかコーンフレーク、昼と夜は、どちらかが和食か洋食。チャーハンや餃子といったものも食卓に並びました。
お米を炊く水も水道水であったそうです。
●今上天皇のお食事は?
今上天皇陛下(現在の天皇陛下のこと)も、ごはんはムギメシ。その米も特別なものではなく地元のお米屋さんから標準米を購入して食べておられるとか。
魚も高級魚が出されることは滅多になく、むしろアジ、サバ、サンマといった大衆魚が中心。
肉や野菜、乳製品などは、宮内庁が管理している栃木県の御料牧場で作ったものを食べておられるそうです。
御料牧場以外は意外と質素ですね、もしかしたら我々庶民のほうが豪華な料理を食べているのかも知れません。
今上天皇陛下は外出されたり、ご公務で旅行をするとき、カレーライスを注文することは有名です。
東日本大震災直後のお見舞いのときも「昼食は基地のカレーを」といったのも有名。
これは、陛下ご自身がお好きなのはもちろん、相手にあまり手間や気を使わせないにようにとの気配りだそうです。
さすが日本の『象徴』、頭が下がります。
(食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ)(絵:そねたあゆみ)2017-05