(絵:そねたあゆみ)
昔話『かちかち山』はみなさんご存じでしょう。室町時代末期には現在と変わらない形で存在していた物語で、江戸時代の寺子屋の教材として日本中に広まっていきました。勧善懲悪モノの中でも根強い人気のある昔話です。実は『かちかち山』、古代日本の裁判を表しているお話なのです。ここに注目して再び読んでみると、新しい発見があるかも知れません。
この『かちかち山』で最初に抑えておきたいポイントは「泥船」です。船は神道の考えでは、黄泉の国に行くための乗り物と捉えられています。高貴な人の船は高貴な材料で造られ、卑劣な悪狸には泥で造る。泥は『古事記』や『日本書紀』では、国造りの混沌をあらわすアイテムとしても登場します。そのようなもので船を造るのですから、仇討ち執行人である兎の強い覚悟が見て取れます。しかも、その泥船は黄泉の国に到着させず、海に沈ませるのです。兎の凄まじい怒りが伝わってきませんか。兎の怒りがとてつもなく大きいのはもっともです。というのもこの悪狸、お婆さんを撲殺した上に彼女の肉を夫であるお爺さんに食べさせました。日本において人肉食は最大のタブー。お爺さんが望んでタブーを破ったのではなく、だまし討ちにかけてタブーを破らされたのですから、これに怒りを覚えない人はいないでしょう。ちなみに、人魚の肉であっても大きな罰が与えられるのが日本です。(例:八尾比丘尼)
このような悪狸を自分たちの地域にいさせるわけにはいきません。ですから、兔は仇討ち執行人を買って出たのです。そして、兔は裁判も行います。盟神探湯(くかたち)と呼ばれる神代の裁判をご存じでしょうか。これは、罪のない者であれば例え熱湯に浸かったとしても火傷はしないというもの。つまり、火傷を負うものは有罪という意味なのです。『かちかち山』における盟神探湯は、柴を背負ったところに火打石で火を点けるというもの。これで悪狸は大火傷を負います。この「大火傷を負う」ということが有罪の証だったのです。有罪と判決が出たので、刑の執行です。それが、「泥船に乗せて海に沈める」という死刑でした。
現代の『かちかち山』は随分と柔らかい印象になっています。ですが、元の話を忘れないでください。自分たちの地域のために立ち上がった人の物語が『かちかち山』です。地域自治を考える上でも重要な昔話ともいえるでしょう。心に刻んでいきたいものです。
(講談師、コラムニスト 旭堂花鱗)2019-08