(絵:そねたあゆみ)
●サンマは灯油用と肥料だった⁉
秋の味覚サンマ、いまこの原稿を書いている時点では、大変な不漁のため値段もお高めとか、将来は大衆魚から高級魚になるという噂もあります。
江戸時代、サンマは好んで食べられていた魚ではありませんでした。落語に『目黒のさんま』という話しがあります。
ストーリーは目黒に鷹狩りにきた殿様一行ですが、家来が弁当を忘れてしまった。お腹が空いたときに、何やら旨そうなにおいがする。殿様が家来に聞くと「あれはサンマという魚を焼くにおいです。殿様が食べたいといっても家来は「サンマは庶民が食べるものでお殿様のお口にいれるようなものではありません」と、食べるのを止めるのですが、殿様はどうしてもと持ってこさせ、食べてみると大そう美味しい。後日、もう一度食べたいと所望すると、家来は魚河岸に新鮮なサンマを買うのですが、料理の最中に脂をすっかり落とし、小骨まで省いて、せっかくのサンマを不味くして出してしまう。すると殿様が家来に聞きます。「このサンマはどこで買い求めた?」家来は「魚河岸です」すると殿様が一言「それはいけない。サンマは目黒に限る」というオチ。
ところが江戸時代、サンマは庶民の間でもさほど人気のある魚ではありませんでした。
落語では家来がサンマの脂をすっかり落としてしまうシーンがありますが、当時は庶民も魚の脂を嫌っていて脂を落として食べるのは当たり前で、現代と違い『脂の乗った魚は不味い』というのが江戸時代の食文化。
さらに、サンマやイワシは「猫にあげてもまたいで食べない」という「猫またぎ」と言われるほどでよほどの貧乏人じゃないと食べない魚だったのです。
同じように江戸時代「猫またぎ」いわれた魚にマグロの大トロがあります。大トロも「マグロの脂身」と言われ、食べずに肥料にしていたといいます。
サンマも脂が多いので灯油用に油にするか、もしくは肥料になっていました。
●日本人がサンマを好んで食べるようになったのは?
江戸時代、江戸っ子に嫌われていたサンマですが、江戸っ子がサンマを食べるようになったのは、江戸時代の半ばを過ぎた頃から。
しかし相変わらず「サンマやイワシは貧乏人が食べるもの」と言われ、決して好まれるものではなかったようです。明治時代に書かれて辞書にはサンマの項目に「賤民ノ食トス。」と書かれているくらいでした。
落語の『目黒のさんま』が作られたのは、明治時代と言われていますが、その明治ですら「賤民の食」だったのです。
人々がサンマを好むようになったのは、戦時中の食糧危機くらいからのようです。
宮中においても、天皇陛下の食事にはじめてサンマが出るようになり、陛下がサンマを好まれたといわれています。
●やがて高級魚になる?
そんなサンマも、報道によると、サンマに漁獲量は年々減少しているようです。原因はいろいろあるようで、海水温度の変化や世界の日本食のブームもあり、これまでサンマをあまり食べなかった中国はじめ近隣諸国の人たちにも人気が出始め、サンマ漁をはじめるようになったなどなど。
また、イワシの漁獲量も減っています。夏に皆さんが食べたかも知れないウナギは絶滅危惧種です。
このまま漁獲量が減っていけば、それぞれの魚の値段はどんどん高くなり、庶民には手が届かない高級魚になるかも知れません。
すでに【高級魚】になっているマグロやウナギは、養殖の方法が模索され、ある程度できるようになっていますが、サンマやイワシは養殖そのものも難しい魚だそうです。
サンマやイワシといった海の食物連鎖の底辺を担っている魚が減っているということは、海の生態系を大きく変えてしまうかも知れません。
同時にサンマを捕る漁師さんや水産会社の人たちを守るという意味でも、我々はサンマやイワシをいかに守るかを考えないといけない時期が来ているようです。
(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2019-10