(絵:吉田たつちか)
「人間は餌を食う。人間は食べる。知性のある者だけが食べ方を知っている」
―19世紀のフランスの美食家ブリヤ・サバラン―
人間は食べ物を料理するということを覚え、食べ物に熱を加えたり味をつけたりすることを知り、様々な工夫をしてきました。それと同時に、人々は、いかに食べ物を保存するかということに苦心をしてきました。
はじめは、干物、塩漬け、燻製の発見と発明です。これがすばらしかったのは、ただ腐敗をおさえ、保存できるだけではなく、干したり塩漬けにすることで、美味しくなるということでした。ある意味、腐敗との戦いが料理というものを大きく発展させたとも言えるのです。
アイヌの人たちは、秋になると川に遡上してくるサケを半身におろして皮付きのまま縦に細かく切り、海水で洗って潮風に当てて干すという食品を発明します。アイヌの人はこれを「トゥパ」と言ったそうな。いまでいう「鮭とば」です。
またやはりアイヌの人は、北海道の厳しい寒さを利用して「ルイベ」という料理を発明しました。これはサケやマスを凍らせたまま、解凍せずに口に入れるという食べ方で、口の中で、食材が次第に溶けていく感じを味わうことができます。
これらはまさに、保存、そしてさらなる味わいへの昇華と言えるでしょう。
古代中国では魚や肉は「塩辛」として保存されました。いわゆる塩で漬け込み自然発酵させたのです。古代中国では「鮨(き)」という魚の塩辛や、「醢(かい)」という肉の塩辛が盛んにつくられました。
「鮨(き)」は、日本において「すし」ですが、もともとは魚の塩辛という意味だったんです。なぜ魚の塩辛が「すし」になったかというと、魚の発酵とコメの発酵が食品保存に利用されるようになったからです。塩漬けした魚を、さらにご飯と一緒に漬けて発酵させると、日本でいうところの「なれずし」となります。
そういうこともあり、やがて日本では魚の塩辛を意味する「鮨(き)」が、やがて「鮨(すし)」になっていったようですね。
関西では酸っぱいことを「酸(す)い」と言いますが、「酸い飯(すいいい)」が「すし」となり、やがて「鮨(き)」という漢字をあてたのではないかという説があるようです。
その本来、保存食であった「魚の塩辛」や「なれずし」が、やがて変化して酢飯に刺身を乗せて食べる「お寿司」になっていくというのは、食文化のおもしろさと言えましょう。
保存食といえば歴史的英雄ナポレオンが、保存食に大いに貢献をしています。ナポレオンは遠征に行くときに兵士に食べさせる糧食に悩んでいました。「何とか兵士に新鮮で美味しいものを食べさせたい」と。
そこで新鮮な食べ物を保存するアイディアを1万2000フランの懸賞金で募集したところ、菓子職人のアペールという男が、ガラス瓶を加熱殺菌し、食べ物を空気となるべく遮断する「ビン詰」という方法を考え出しました。これは大変な発明で、まだ腐敗の原因である細菌についてよくわかっていない19世紀はじめに、高温処理と密閉が保存に有効だと証明したのです。
ビン詰めはやがて缶詰となり、缶詰からレトルト食品が生まれます。食べ物の保存ひとつとっても食文化っておもしろいですね。
(食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ))2022-08