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広報宣伝と名将

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(絵:吉田たつちか)

 少し前に、近所に、味もまずまずの良い感じのケーキ屋さんが出来ましたが、私はその翌週、前を通って、「あ、これは行き詰る」と思いました。
 何があったか。開店の翌週に普通に定休日で休んでいたんですよ。こう言うと、「定休日を設けて何が悪い」と言う人がいるでしょう。が、このことを、米ナイキの創業者、フィル・ナイトは端的にこう言っています。「レストランを開きたいと思ったとき、自分が厨房に1日23時間入ってメニューを改善できる人間か、就業時間の8時間で帰りたくなる人間か、よく考えてから決めるとよい。ずっと厨房にいられるくらい料理が好きな人間でなければ、レストランを始めるべきではない」と。
 一方、元帝国陸軍参謀で兵法評論家の大橋武夫氏は、「建設現場の監督が、職人から、『偉そうに言うなら、おまえがやってみろ!』と言われたときには、その場で道具を取りあげ、職人以上に上手にやってみせなければならない」ということを言っていました。まあ、理屈としてはそうなんでしょうが、実際には熟練の職人以上にできるはずもなく。しかし、建設業が好きでその世界に入ったのであれば、素人ながらにも研究もしているでしょうし、研鑽も積んでいるでしょうから、職人が認めるくらいにはやれるはずで、逆に言えば、これができない人間は建設現場にいるべきではないということです。
 この点で思い起こすのが、以前、たまたま見ていたテレビで、「若い時に、お笑い芸人になったが、親に反対されて連れ戻された男が、今も夢が忘れられず、当時の相方とまた漫才をしたいという願いを叶える」という番組。親としては、「堅い仕事に」ということだったようですが、でも、息子は放送時点で失業中。堅い仕事についた結果がこれなら、親は一体、何のために断念させたのか?という気になりました。もっとも、当時は、戦後の生活難の記憶があった時代。「海の物とも山の物ともつかないことをやるより、堅い仕事に」という空気は社会全体にありましたから、親も特別酷いことをしているというつもりもなかったでしょうね。(おそらく、同じことを言ったら、うちの親も同じ対応をしたでしょう。)
 でも、特撮の神様・円谷英二は、撮影技師になりたかったのに、故郷福島に呼び戻され、家業の麹屋を継がされそうになったとき、配達に出るふりをして、駅前に自転車を乗り捨て、そのまま、東京に出たと言いますから、彼も、そんなに好きだったのなら、諾々として、親に従うのではなく、時間をかけてでも説得するか、飛び出すかくらいすべきだったでしょう。「好きこそ物の上手なれ」と言いますが、人間、好きでやっているのが一番強いわけですから。
(小説家 池田平太郎)2022-08

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