(絵:吉田たつちか)
現代日本では、様々なハラスメントが存在します。いつ自分が被害者になるか、加害者になるか戦々恐々。そんな閉塞感を吹き飛ばしてくれる存在が「お笑い」です。
ところが、この「笑い」によってハラスメントが起きることもあるのです。それは「いじり芸」が大きな影響を与えています。「いじり芸」とは相手を困らせたり弄んだりして、笑いに変えるもの。元々は漫才師など芸人が始めたもので、テレビが普及する以前はさほど流行っていませんでした。
ところが、テレビの普及により芸人が後輩芸人をいじる姿を、多くの日本人が目にするようになりました。これがお手本となり、テレビの中の芸人と同じように振る舞う人もでてきます。結果、相手に嫌われてしまったり、人間関係がギクシャクしたり。これでは生活に潤いどころの話ではありません。
この「いじり芸」が主流になったのは、案外最近のことです。テレビ番組「風雲!たけし城」が放映されていた昭和後期から徐々に広がりを見せ、平成時代に定着します。それ以前の日本の笑いは、下の者が上の者をいじるものが主流でした。ご存知、ドリフターズのコントもそのようなものが多かったと記憶されている方も多いでしょう。
昭和時代までの日本の笑いは、上の者が滑稽な姿を見せることで成立していた節があります。これは昭和時代だけでなく、戦国時代の武将・豊臣秀吉の時代から脈脈と続いているものなんです。秀吉は御伽衆と呼ばれる、今でいうお笑い芸人を召し抱えていました。秀吉が彼らにやらせたのは、自身を笑いに変えること。これで部下のガス抜きをしたり、自身を振り返ったり。
秀吉は自身が絶対的権力者である自信があったため、自分をいじられても問題ありませんでした。いじられることで、懐の深さを見せつける意味もあったでしょう。昭和時代までのお笑いも同じです。笑いの中に「許し」がありました。だからこそ、昭和時代まではおおらかな時代だったのかもしれません。
現代はおおらかさよりも正確さが求められ、更にはハラスメントにまで気を回さなければならない時代。とてもギスギスしがちですから、日常の中に笑いは必要不可欠でしょう。この「笑い」をどのような形で生み出すかを、立ち止まって考えていきたいですね。仕事は正確に、でも笑いの中には「許し」というおおらかさがある社会になってもらいたいものです。
(コラムニスト ふじかわ陽子)2023-02