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子供が子供であることの幸せ

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絵:そねたあゆみ

 「海は広いな大きいな~♫」で知られる童謡に「海」ってありますよね。あれって、作詞家、作曲家ともに「海無し県」の群馬県の出身なんだそうですね。なるほど、言われてみれば、毎日、海を眺めて暮らしている人は、海に思いを馳せたり感動したりが無いわけで、ああいう歌は書けないだろうなぁと。つまり、海が無い県の人だからこそ、こういう歌が出来ると。

 ちなみに、群馬県と言っても新潟まで行けば海水浴くらい・・・と言うなかれ。それは交通網が発達した近年の話。明治、大正の頃は、親に「ちょっと海水浴に行ってくるから汽車賃(電車賃ではなく)ちょうだい」なんて言った日にゃあ、おそらく、親は腰を抜かす以前に、「息子は気が狂った」と思ったんじゃないでしょうか。(今で言うなら、小学生が「ちょっとマイアミまで海水浴に行ってくるから飛行機代ちょうだい」って言うような感覚に近いのかも。)親だって、生きていくのがやっとで、よほどの旦那衆でもない限り、物見遊山で汽車なんて乗ったことなかったでしょうし、子供だって物心つけば何らかの生活の一助たらんことを求められたわけで。

 児童福祉法など無い時代。子供は皆、程度の差はあったにしても、生きるために一刻も早く大人になることを求められました。皆、早くから大人の間に入り、老成することを求められました。大人デビューしたばかりの南極の若いオスのペンギンが、大人たちから意地悪され、海に突き落とされて死んでいる映像を見たことがあります。でも、それが大自然の現実。ライオンも熊も他のオスの子供は食い殺します。いい悪いではなく、生物は多かれ少なかれ、そうやって長い進化の時間を過ごしてきたわけです。それが嫌なら、一刻も早く大人になる、なれるように振る舞うというべきでしょうか。

 二宮尊徳(金次郎)の子供の頃の話にも、父が亡くなった後、幼くして大人の仕事を割り振られたが出来ないので、懸命に他の大人たちが喜んでくれるようにフォローをやったという話があります。庇護者があれば別ですが、子供が庇護者なくして生きていくためには他に方法がないわけで、極論すれば、皆、生まれ落ちた瞬間から一刻も早く大人になるべく、宿命づけられているのが自然界だとも言えるでしょう。事実、日本でも昭和30年代頃まで子供は子守や新聞配達、牛乳配達など、何かしら大人の仕事を手伝っていました。そう考えれば、我々は、今、本当に良い時代に生きているんだということだけは実感しておくべきだと思います。

(小説家 池田平太郎)2018-08

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