おそらく人間以外に料理をする生き物はいないでしょう。そんな人類が野生の食べ物に手を加えて食べるようになった初めは、おそらく石などを使って、木の実を割ったり砕いたりしたのが最初かも知れません。しかし、これだけなら、まだ料理とはいえないかも知れませんね。
いまから50万年前、人間は火を手に入れます。おそらく最初は雷などで自然発火した山火事などのとき、たまたま焼けた動植物を食べ、生のものよりも柔らかく美味になったことを知ったのでしょう。火は食べ物を美味しくするだけではなく、夜を照らし、寒さから守ってくれるものです。人間が自分たちの好きなとき火を利用できるように、火種を絶やさないように工夫したり、木を擦り合わせたり、火打石のようなものを利用することで、火を自由に利用することは、文明のはじまりといってもいいくらいの、衝撃的なことであったに違いありません。
火を手に入れた人類は、明かりと暖かさだけではなく、固く冷たかった食べ物を、柔らかく温かくして食べることができるようになり、また多少傷んだ食べ物でも殺菌して食べることが可能になりました。
●器の発明
火を使って食べ物を焼く、温めることを知った人間ですが、当初は木の枝に刺して火にあぶったり、直接火に放り込むくらいしか方法がありませんでした。
食べ物を、より多様に料理するためには、鍋のような器が必要なのです。もしかしたら土器などを発明する前に、地面に穴を掘り、その穴で火を燃やし、熱くなった穴の土や石の熱を利用して料理をしたかも知れません。
これまでは、ただ直火で焼くだけのものであったのが、熱した穴に大きな葉っぱで食べ物を何重にも包み込んだものを入れることで、食べ物を“蒸し焼き”にすることができるのです。
この野趣あふれる料理法は、いまでも世界中に残っており、世界でもっとも古いオーブン料理といってもよいでしょう。この掘った穴と葉っぱを使った料理と、これまでの直火であぶり焼きした料理の違いは、たんに蒸し焼きができるだけではなく、例えば肉と木の実といった“違った種類の食べ物を合わせて料理できる”というところにあります。土器が発明されていない時代でも、こういった穴だけでなく、竹筒を利用したものなどもあったことでしょう。貝殻や、亀の甲羅なども器として使われていたようです。また、板状の石を焼いてフライパンのように使ったかも知れません。
あるいは、捕らえた野生動物のお腹に、採集してきた植物を詰め込み、丸焼きにすることで、肉はロースト(あぶり焼き)に、お腹に入れた植物は蒸し焼きにして、多様な味を楽しむこともあったことでしょう。この料理法も、現代でも多くの民族に伝わっています。
やがて人間は、泥をこねて固め、焼くことによって土器を発明します。いまのところ、人類でもっとも古い土器は、日本の縄文土器だそうで約1万6千年前だそうです。土器など器を発明することで人間は水をお湯に変え、食べ物を煮ることを発見しました。
また、一つの器に、いろいろな食材を混ぜ合わせて食べることも、やりやすくなりました。火と器の発明や利用は、まさに“料理”のはじまりでありました。
●農業と動物を飼うということ
人類は最初野生の動物を狩り、植物を採取することで生きてきました。
それが1万6千年~7千年前に、動物馴らしたり飼ったり、植物を植えて育てることをはじめるようになります。
多くの人は、人間が農業や牧畜をするのは、より楽に食べ物を獲得するためと思っていることでしょう。
しかし最近の研究によると、農業や牧畜をするよりも、狩猟採取生活のほうが、はるかに楽であることがわかってきました。
狩猟採取生活では、必要な食べ物を必要なだけとればいいのですが、農業や牧畜をすることで、“多くの食べ物を貯蓄している者”と、そうでない者の身分格差が生まれることになります。
狩猟採取生活よりも重労働をし、身分格差を作ってまで、人間が農業や牧畜をはじめたのは、おそらくより確実に、食べ物を身近に置いておきたかったからではないかといわれています。
牧畜は、人間の食べ残しをあさってくるイヌやブタを家畜化したり、群れで行動するヒツジやヤギ、ウシなどに近づき、馴れさせて利用するということが行われたようです。
この農業や牧畜がはじまることで、人間は、自然界に新たな敵を作ることになります。それは、農地を荒らしに来る動物たちと敵対せねばならず、家畜化した動物たちを襲ってくる肉食獣から、家畜を守らねばならなくなったのです。
農業や牧畜は、狭い土地で効率的に食べ物を収穫することが可能になります。そうすると、多くの人々が狭い土地で暮らすことができるようになり、人口密度が濃くなってきます。
一説によると、狩猟採取のときの人口密度と農業が行った場合の人口密度は、農業をやった場合のほうが、20~100倍に増えるといわれており、そしてムギやコメ、家畜が現代のお金と同じように物々交換の材料となっていきます。
そうなると、ムギやコメをお金の代わりとして、遠くの村や異民族の食べ物を購入できるようになり、料理がますます多様になってくるのです
(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ)/絵:吉田たつちか/絵:そねたあゆみ)2014-07