あまり知られていないことだけど、江戸時代に「TKG]こと「卵かけご飯」はありませんでした。卵かけご飯が食べられるようになったのは、明治時代以降。もっといえば戦後に広まった食べ方なのです。
なぜかというと、卵っていうのは、どんなところで採取されるのかを考えてみればわかります。
人間に飼われている鶏であるなら、鶏舎なり鶏小屋。その卵はどのような状態かというと、鶏のウンチまみれであったりして決して清潔とはいいがたい状態であったりします。
また、昔は、いまのように無精卵ばかりではないので、卵を割ってみれば、血が混じっていたり、小さなヒナがいたりすることだってあるわけです。肉食に慣れたいまの日本人だって、そんな卵をみれば、食欲を失うことでしょう。
まして、江戸時代のように、ほとんど肉を食べなかった日本人にとって、血が混じったり、ヒナになりかかっている卵を生で食べるなんてことは、かなりのグロ。
そんなことだから、卵を食べる行為は、いってみれば「薬」を食べるのと同じで、病人とかじゃないと食べなかったというわけです。
大体、昔の卵は大変高価なものでした。どれくらい高級だったかですって?
かけそばが一杯十六文の時代に、卵の水煮(ゆで卵)が一個二十文で売られていたという記録が残っています。
いまの時代だと、かけそば一杯が、立ち食いそば屋で300円くらい。普通のそば屋で600円くらいだから、それより高いということになりますね。
つまり、江戸時代、ゆで卵1個が500円~1000円くらいもしたってことになるんだから、超高級食材ってことになりそうです。
よって、「卵かけご飯」は、卵が清潔で大量生産されるようになり、また卵を洗浄するようになってから一般に食べられるようになったのでありました。
(いまの卵って、みんな洗浄されているって知ってました?)
それに目玉焼きだって明治になってから、日本人が食べるようになった料理であったりします。
では、目玉焼きの歴史ってどのようなものであったかについて、述べてみましょう。
●目玉焼きの歴史
この前、目玉焼きを作ろうと思って、卵を割ったら双子ちゃんでした。最近、双子の卵ってめずらしいですよねえ。
いまや卵っていうのは、ほとんど工業製品化されていて、規格にに外れた卵ってのはハネられてしまうらしいんですね。
双子の卵の場合、産むのは若い鶏の一時期だけ、一羽の鶏が生涯で双子の卵を産む確立は2~3%っていうから、やっぱりめずらしく「ラッキー」と喜ぶ人もいれば、「ちょっと気持ちが悪い」と思う人もいるそうな。
また、双子の卵は、外見からも見分けがつくらしい。普通の卵に比べて細長いんだそうです。
まず目玉焼きの歴史はいつからかというのは、実のところよくわからない。おそらく人類が料理に鉄板(フライパン)を使うようになってからあったと考えられます。もしかしたら、鉄板がない時代でも、熱くなった石の上で目玉焼きを焼いていたなんていうこともあったかも知れませんね。
日本においての目玉焼きの歴史は、明治時代になってから欧米から入ってきたと思われます。
理由は簡単で、江戸時代以前には、フライパンのような鉄の板を使う料理道具があまりなかったから。
日本において鉄の板を使った料理が、まったくなかったわけじゃありません。例えば「すき焼き」のはじまりは農具の「鋤」を鉄板代わりにして肉や野菜を焼いたのが始まりだったりするし、鉄鍋なんかもありました。
だからそういった道具で目玉焼きを作って食べた日本人はいたかも知れない。
ただ、記録に残っていないようなんです。少なくとも、わたしが調べた限りみたことはありません。歴史とは記録と記憶だから、残ってないものは証明できないので、実のところはなんともいえません。
江戸時代、日本人はほとんど肉を食べなかったから、卵は貴重なタンパク源だった。だから、いろいろな卵料理が開発されて「卵百珍」なんていう卵料理を百種類以上紹介した本まであるんだけど、目玉焼きに類する料理は出ていないようなのです。
よって、明治以降、西洋料理の一つとして欧米から入ってきた料理と考えていいでしょう。
そして庶民が自分たちで作って食べるようになったのは、戦後一般家庭にフライパンが普及してからだったりします。偉大なりフライパン!
(食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)