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ジェネレーション・ギャップ

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15-09-4 左卜全という人をご存知でしょうか?もう、今では知らない人の方が多いのではないかと思いますが、「おお、神様、助けてパパ~ヤ~♪」です。ますます、わかりませんね。で、この卜全さん、「世界のクロサワ」こと黒澤明監督の代表作、「七人の侍」に出演した際、「野武士に襲われて村が焼けるところを高台から見て泣く」というシーンで、黒澤監督から「燃える村をみて号泣しろ」と指示されたにも拘らず、いざカメラが回り出すと、号泣するはずが「バははは~」と笑ったそうです。当然、黒澤監督が飛んできて、「笑うんじゃなくて泣くって言ったでしょう!」と注意して、「はい、撮り直し、スタート」と言うとまた、「バははは~」と笑う。また、黒澤監督が飛んできて、「だから、笑うんじゃなくて泣くって言ったでしょ!わかりますか?!泣くんですよ、いいですね」と言って、「はい、スタート」と言ったら、卜全さん、また、「バははは~」と笑う。で、それを4~5回繰り返したら、さすがの完璧主義者・黒澤明も黙ってそのシーンを台本から削りとってしまったとか。
ブームを通り越してその人気が社会現象にまでなった芸能人としては、私が知るかぎり、植木等、加藤茶、明石家さんまの御三方だと思っているのですが、その中の植木等さんが卜全さんと撮影で一緒になった際、突然、呼び止められてこう言われたのだとか。
「君は、これからの人だから言っておくけど、監督の言うことは聞いちゃいかんよ」と。で、ついでに、「どうして、七人の侍の撮影のとき、泣かなかったんですか?」と聞いたら、「人は悲しみを超越すると笑いがこみあげてくる」と言ったとか。植木さんは、「偉人のすることはわからないねー」と苦笑してましたが、私には、むしろ、こっちのほうが真実なんじゃないかと思えました。人間観察の達人、黒澤らしからぬ話じゃないかと。本来、これこそが、幾多の死をみつめてきた世代のリアリティではなかったでしょうか。
思えば、これが、明治27年(1894年)生まれの卜全さんと、明治43年(1910年)生まれの黒澤監督とのジェネレーション・ギャップだったのかもしれません。
ちなみに、黒澤監督も、この老人には手を焼きながらもその飄々たる庶民の味は結構、お気に入りだったようで自らの映画には名バイプレーヤーとして、多数、起用しておられます。特に、卜全さん自身はまったく酒を嗜まなかったにも関わらず、酔っ払いの演技は絶品だったとか。ついでに言うと、卜全さんは、52歳で初めて結婚、55歳で映画デビュー、さらに、76歳で歌手デビュー(当時としては史上最高齢)、40万枚を売り上げるヒットを記録。一方で、私生活では、絶えず、「妻を守るため」に傍らに「錐」を忍ばせていたなど、実生活でも「奇人」だったようですね。(小説家 池田平太郎)

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