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ペリー来航の背景

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絵:そねたあゆみ

 嘉永5年(1852年)、アメリカ合衆国第13代大統領、ミラード・フィルモアは、「改めて」東インド艦隊司令官にマシュー・カルブレース・ペリー代将を任命しました。日本との開国交渉に当たらせるためです。「改めて」と言ったのは、本来、その任に当たるはずだったのは彼では無く、「前」東インド艦隊司令官ジョン・オーリック代将だったからで、オーリックが一旦、日本に向けて出航した後に旗艦サスケハナ号の艦長と問題を起こしたことから更迭され、急遽、後任として、白羽の矢が立ったのがペリーだったと。ただ、オーリックとペリーは同じ「代将」ですが、米墨戦争の際にはペリーが艦隊司令官でオーリックが次席司令官を務めた間柄。つまり、ペリーとすれば、更迭されたかつての副官に代わって、「格上」の自分が出て行くわけで、「下手な仕事はしないよ」という思いがあったのでしょう。

ペリーはまず受任に際し、大統領に「日本はなにぶん遠い。本国との通信連絡も簡単にはできないだろう。従って、交渉に当たる以上、自分を特命全権大使として、外交、軍事の自由裁量権を与えてほしい」との申し入れを行っています。大統領は、「もっともな申し出」として発砲に制約を与えた上で大筋でこれを許可しました。本音を言えば、日本などというアジアの辺境の国にそれほど関心もなかったのでしょう。一方、大統領のフィルモアという人は、前の大統領がコレラで死去したことから副大統領から昇格した人で、さらに、ペリーが日本に到着したときには既に大統領では無かった人でもありますが、その在任中の重要な功績の一つが大陸横断鉄道建設の推進です。

 元々、鉄道開通前は、アメリカ東海岸から西海岸へ出るには陸路を馬車で移動するか、船で南米の南端、すなわち、マゼラン海峡を抜けるか、それともアメリカ大陸が最も細くなる地パナマに上陸した後、陸路を横断(パナマ運河開通前)し、太平洋に出、そこから再度、船で北上するか・・・でしたが、陸路は危険が多く、マゼラン海峡は遠い。そのため、アメリカ政府はパナマ横断後の航路を開いたパシフィック・メイル社を庇護。同社は折からのゴールドラッシュもあって巨万の富を蓄積するに至りますが、大陸横断鉄道が開通してしまうと、もはや、無用の長物。大いに危機感を持った同社が代わりに目をつけたのがアジア市場とアメリカとを結ぶ太平洋航路で、そのための足場として存在していたのが日本でした。寄港地を確保したかった捕鯨関係者からの働きかけも有り、アメリカ政府も動いた結果が日米和親条約の締結で、大仕事を終えたペリーは琉球にも寄港し、琉球王国とも琉米修好条約を締結させています。

(小説家 池田平太郎)2018-02

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