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即席めんを発明し世界の食文化を変えた男 安藤百福 前編

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(絵:そねたあゆみ)

●インスタントラーメンを作った人とは?

 これまで何度かラーメンについて書いてきましたが、ちょうどNHKの朝の連続ドラマで『まんぷく』というインスタントラーメンの生みの親、安藤百福の妻をモデルにした物語をやっておりますので、今回はその男、世界の食文化を変えた男ともいわれる安藤百福の波乱万丈の人生について述べましょう。

●実業の世界で日本有数の大富豪になる

 この百福さん、実に数奇な人生を送っているのです。まず彼の生まれは日本統治下にあった台湾生まれの台湾人でした。台湾名は呉百福。早く両親を亡くした百福さんですが、子どもの頃から料理が大好き。朝のごはんやお弁当は妹の分も含めて自分で作っていたといいます。

 21歳で繊維会社を設立、日本からメリヤス(ニット)を仕入れて大成功。翌年には台湾から大阪に進出。大阪で繊維問屋を設立しこれも大成功。この時期、百福さんは事業をしながら夜間の立命館大学に学ぶという努力家でした。

 百福さんの事業は、繊維にとどまらず貿易や飛行機のエンジンの製作と多岐にわたるものの、まだまったく食品とは関係ないものばかりだったのです。このとき百福さんは日本有数の大金持ちになっておりました。

●開戦、無実の罪で憲兵から拷問! 

 やがて太平洋戦争がはじまると、百福さんは軍用機のエンジンの製作にも携わります。しかし、軍用の支給物資がが何者かに盗まれるという事件が起こりました。ところが捕まったのは被害者の百福さん。捕まえたのは憲兵隊でした。実は憲兵隊の伍長の親せきが盗んでいたのです。

 もしかしたら百福さんが大金持ちであることへのやっかみや当時差別の対象であった台湾人で、成功者であったことが関係していたのかも知れません。

 憲兵隊に捕まった百福さんは棒で殴られたりと、かなりひどい拷問を40数日間受け続けたといいます。憲兵としては、百福さんが嘘の供述さえすれば、親せきの罪は百福さんに擦り付けることができるのですから、ことさらひどい拷問であったようです。実際、この当時警察や憲兵の拷問で死亡した人もいたほどです。しかし百福さんは嘘の供述はせず、知人である有力者のとりなしで釈放されます。

 そして終戦食前の昭和20年3月21日、百福さんは政財界や文化人が集まる大阪倶楽部というサロンで受付をやっていた安藤仁子さんに一目ボレ、猛アタックのすえ結婚します。

 この安藤仁子さん(朝ドラ『まんぷく』の主人公のモデルですね)、かなりモテモテであったらしく、かつてホテルで受付をやっていたころ、仁子さんを好きになって缶詰をコッソリ渡してくれる従業員がいたり、他にも結婚を申し込んでくる男性もいたのですが、お断りすると、なんとその男性が自殺してしまうということもありました。

 一方、百福さんは、実のところ郷里の台湾に2人の妻がいたのです。当時の台湾では一夫多妻は認められており、また日本と台湾は戸籍が別でしたので、重婚罪とはならず仁子さんは正妻ということになります。

 そしてこのとき百福さんは名前を呉百福から安藤百福と変えます。

●終戦、GHQから財産没収!

 なんとか命はとりとめたものの、百福さんの住んでいた大阪はひどい空襲で、百福さんは疎開。その疎開地で終戦の知らせを聞きます。

 終戦になると、日本を食糧難が襲います。これまで食品産業と無縁だった百福さんですが、おなかを空かせた人々が並んでまで屋台のラーメンを食べているのを見て、食糧に携わることを決意したといいます。

 百福さんが最初に手掛けたのが食塩作りや漁業。地元の若者を大量に雇い、給料以外に奨学金を渡していると、それをGHQが脱税だと言いがかりをつけてきたのです。

 GHQは百福さん個人名義の不動産を没収の上、4年の重労働の刑を言い渡され、2年間巣鴨プリズンに収監されてしまうのでした。

●破産、そしていよいよインスタントラーメンの研究へ!

 2年後なんとか釈放されたものの、工場は空襲で破壊されてどうしたものかと思っていると、実力ある実業家として有名な百福さんに、新設のある信用組合の理事長になってくれないかという話しが来ます。

 引き受けた百福さんですが金融業は初めて。やがて信用組合は破たん、百福さんは破産してしまいます。

 かつて日本一の大富豪とまで言われた百福さんは借家住まいとなり、家具家財も差し押さえられてしまうありさま。文字通りの無一文となってしまうのです。

 このとき安藤百福47歳。当時の平均寿命が64歳ですから決して若いとはいえない年齢。このどん底状態からいよいよ、インスタントラーメンの研究がはじまるのです。

(つづく)(文:食文化研究家・巨椋修(おぐらおさむ))2018-11

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