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光秀レビー小体型認知症説    

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(絵:吉田たつちか)

 明智光秀と言えば、天下統一まであと少しの主君・織田信長を弑逆した謀反人の代名詞のような人ですよね。一方、信長のパワハラに潰された誠実な人という見方がある反面、キリスト教宣教師などは入信を断られたのか、「邪悪でねじ曲がった心の持ち主」と書いてます。その光秀が謀反に及んだ真相は謎なのですが、(中には春になって薄着になった着物の間を風が吹き抜けると乳首が擦れ、男はムラムラとよからぬことを考えるという「光秀春風乳首説」まで(笑)。本能寺の変の日は現在の暦では6月の末。もう春とは言えないような。)この点で、先日、「光秀レビー小体型認知症説」という説を耳にしました。

 光秀は、実は、本能寺の変の半年前に、腸内感染からと思われる大病をしており、辛うじて一命を取り留めたものの、その後遺症で「レビー小体型認知症」を発症していたという説です。まあ、何でもかんでも「認知症」にしてしまえば大概の話は片付くのでしょうが、ただ、この病気は、一直線に症状が進むわけではないので、なかなかわかりにくいという特徴があるのだとか。

 私がかねてより不思議だったのが、本能寺の変のとき、「囲んだのが光秀」と聞いた瞬間に、信長が「是非に及ばず(仕方がない)」と言って諦めたほどに用意周到で知られた光秀が、なぜか、近くに泊まっていた信長の嫡男信忠を囲み忘れてたという事実。(信忠のほうも、「光秀謀反」と聞いて、「あの光秀が俺を囲み忘れるわけがない。こうなったら、潔く斬り死にしよう」と討って出て戦死してしまったとか。)

 その上で、当時、光秀が置かれていた環境を見れば、まず、織田家というのは徹底した実力主義で、家臣は激しい競争にさらされており、脱落者には「創業の功臣」などという暖かい待遇は一切なく、用済みとばかり、排斥され、自殺に追い込まれました。それなのに、光秀はこの時点では、当時としてはもう高齢の六十代になっており、対して、跡を継ぐべき長男はまだ十四歳だったそうですから、こんなときに、光秀再起不能説などが出ると、一族の破滅に繋る可能性があり、つまり認知症を隠してでも働かねばならない立場にあったということです。

 そう考えれば、本能寺の変というのは、用意周到な光秀が練りに練って考えた計画などではなく、正常な判断が出来なくなっていた光秀が突発的に下した命令で、家臣たちも訳のわからないうちに始まったので、「信忠も囲む」という進言ができなかったと。そう考えれば、一番、しっくりきます。現実とは、それほど緻密なものの積み重ねではなく、案外、杜撰なことの連続体であるというのが、私の実感ですが、いかがでしょうか。

(小説家 池田平太郎)2020-04

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