(絵:吉田たつちか)
藤原道長といえば、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(この世は俺の世だ。満月に欠けた所がないくらいに)」って句で知られる人ですよね。この句のネタ元は反道長派の人の日記で、当の道長の日記にはその記述はないのですが確かに彼は平安期に権力を独占していた藤原氏の人です。ただ、当時はその藤原氏自体がいくつもの家に分裂して権力争いをしており彼の父はそのうちの一つ、藤原北家の当主で、権力闘争に勝ち、めでたく栄達を極めました。が、道長自身はその五男。
本来は一重役で終わるはずだったのが、兄たちが次々と没したことで、思いもよらず29歳でトップに上り詰めます。(彼自身、豪胆な性格だったようで、この辺り、出自も含め、徳川吉宗や井伊直弼と酷似しているかと。)
それだけに、彼が政権の座についたときは、周りの重役はすべて年上。毎日、深夜まで及ぶ長い会議で、そのまま、役所に泊まり込むことも多かったとか。業務に精励している姿を見せることで、重役の信頼を繋ぎ止めようとしたのかもしれませんが、でも、これ、実は妻が恐かったからだという話も。(野口英世は家に帰りたくなかったから研究が捗ったと。これも、一面の真理のような。)でも、あの道長より上の家柄なんてあるのか・・・と思ったらあるんですね。正妻・倫子は天皇のひ孫。しかも、二歳年上。さらに、倫子が生んだ娘たちが天皇の后となり、次の天皇を生んだことで道長の権力基盤は盤石となったわけで、そこら辺を裏付けるように、倫子は女性でありながら、道長と並んで官職は最高位を極め、当時としては記録的な90歳で薨去。
ちなみに、倫子は40代の時にまだ20歳にしか見えないと言われた元祖・美魔女だけに、公卿筆頭の父にとっても自慢の娘。天皇の后にすることを目論んでいたものの、天皇家に適齢期の相手がおらず、ずるずると24歳(当時としては結構ギリギリ)となっていたところへ持ち上がったのが道長との縁談。「いくら藤原でも五男じゃなぁ」と気乗り薄にしていたら妻が一喝。「そんなこと言ったって、今の皇族には倫子と年のつり合う方はいないでしょ!行き遅れるより、実力者の息子の道長の方がマシよ!」と言って強引に嫁がせてしまったとか。これには、両家の父も唖然だったそうです。いつの時代も、娘の嫁入りについての母の目は、男どもの敵するものではないということでしょうか。
つまり、道長が兄の死後、トップの座につけたのは、妻とその実家の後押しがあったからだとも言え、ということは、豪華な調度品に囲まれた高級マンションの一室で、スタイル抜群の美魔女から、「み~ち~な~が~!何度言ったらわかるの!ったく、トロいんだから。私はエステに行かなくちゃいけないって言ったでしょ」って叱られてる社長の姿が見えてきませんか?なーんか、気の毒になってきました。
(小説家 池田平太郎)2020-07