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情報化社会とプロパガンダ

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(絵:吉田たつちか)

 歴史は勝者によって作られるというフレーズを耳にしたことはないでしょうか。一説によると英語の「history」の語源は、勝利を意味する「victory」と同じだとも。学校で習う歴史も、実のところ時の為政者が書かせた歴史書をベースにしていますので、真実を一面からしか見ていません。
 忘れてはならないのが、現代はマスコミによって「真実」や「事実」が作られている点です。テレビにしろ新聞にしろ、スポンサーありきですので、公平な報道は難しいのが現実。つまり、お金さえあれば「真実」も「事実」も作ることができます。
 この手法は何も現代になって生まれたものではありません。例えば『平家物語』。鎌倉時代に成立したといわれる軍記物語で、作者は分かっていません。盲目の琵琶法師が全国各地で語り、日本中に広まりました。その影響か『平家物語』がベースになったと考えられる民謡や盆踊り口説きが各地に残っています。
 さて、このケースのポイントは、誰一人として平家の滅亡を目にしていない点です。琵琶法師は盲目ですので、戦地にいたとしても「見る」ことは不可能。では誰が合戦の様子を琵琶法師に伝えたのでしょうか。琵琶法師が全国各地で語ることで、メリットがある人物は誰なのか。プロパガンダである可能性はないか。この視点がないと、本当の「真実」にはたどり着くことはありません。
 他にもあります。『忠臣蔵』をはじめとする赤穂事件です。赤穂義士が吉良上野介の屋敷に討ち入りをしたなんと半日後には、上方の釈場で討ち入りの様子が語られていたとか。江戸と上方、早籠でも1週間近くかかっていた時代にです。情報の伝播は早籠よりも早かった可能性もありますが、不可思議です。なるべく早く上方に情報を「広める」必要があったのでしょう。もしかすると、すでに台本があったのかもしれません。
 このように歴史を見てもおかしなことは多々あり、真実は未だ解明されていません。やはり「歴史は勝者によって作られる」からでしょう。しかし、本来なら人間の数だけ真実があって当然なのを忘れてはなりません。同じものを見ていても、受け取る側の感性はそれぞれ違いますから。
 情報化社会の昨今、勝者と呼ばれる人たちが述べる「真実」に惑わされないよう生きるのは困難です。ですから、「こういうこともある」というのを頭の隅に入れておく必要はあります。誰にとってメリットのある情報か、を常に考えていきたいですね。

(コラムニスト ふじかわ陽子)2022-8

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