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歴史

信長が西向きゃ家康は東

信長が西向きゃ家康は東

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上杉謙信の生涯を動線で表すと、彼は関東に一番多く出兵しており、次が川中島、最後が京都方向という順になります。 即ち、東、南、西(北は海)とまさに、動線が全方位に散っているわけです。 同様のことが謙信ほどでないにしても、武 ...
体育会系薩摩藩士が見た長州の同志的放言

体育会系薩摩藩士が見た長州の同志的放言

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 慶応2年(1866年)、坂本龍馬、中岡慎太郎らの仲介の下、薩長同盟締結を目指す薩摩藩は長州藩に対し、使者として28歳の薩摩藩士・黒田清隆(後の内閣総理大臣)を送り込みます。 到着後、大坂での薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五 ...
夜盗上がり

夜盗上がり

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明治期、天皇に拝謁することになった元阿波徳島藩主、蜂須賀茂韶侯爵は、天皇を待つ間、明治天皇愛用のタバコを一本くすねたとか・・・。 どうせわからないだろう・・・と思っていたところ、着座した明治天皇は、めざとくそれに気づき、 ...
イギリスの飯はまずい?

イギリスの飯はまずい?

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 今、中国でこんなジョークが流行っているそうです。中国人の男性が理想とする「世界で最も幸せな男」というのは、「アメリカ企業の報酬を得て、日本人を嫁にし、中国人のコックを雇い、オーストラリアの家に住む」だそうで、反対に、中 ...
武士といのち

武士といのち

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現代人は「武士」と聞くと憧れにも似た気持ちを抱くだろうが、実際の「お侍様」が庶民にとってどれだけ恐ろしい物だったか。戦国期の宣教師は「日本では至る所で普通に殺人が起きている」と驚きを持って記しているが、それは泰平の世を挟 ...
「名字」(家名)と「氏」(本姓)

「名字」(家名)と「氏」(本姓)

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 一般によく、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」って言い方をしますよね。実はこれ、間違いというわけではないのですが必ずしも正確というわけでもないんです。なぜなら家康が名字を「松平」から「徳川」に変えたと同様に、秀吉 ...
「情けが仇」の見本?

「情けが仇」の見本?

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「新平家物語」のDVDを見る機会がありました。 若き日の仲代達矢扮する平清盛の乾坤一擲の気迫と、斜陽化してからの、やることなすことすべてが裏目に出るという閉塞状態が強烈に焼き付いております。 「清盛は頼朝を助けたばかりに ...
簡単に始まってなかった武士の時代

簡単に始まってなかった武士の時代

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 織田信長を特集した雑誌の中に、信長を評して「近代への扉をこじ開けた男」という紹介が為されていたことがありましたが、そこには続けて、「日本の歴史の中でも他にこういう人物を探すとすれば平 清盛くらいしかいない」ということが ...
権限が集中することの危険と効用

権限が集中することの危険と効用

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以前、橋下徹・大阪市長が「独裁が好ましい」というような発言をして、物議をかもしたことがありましたよね。 まあ、実際に演説を聞いた限りでは、それほど、目くじらを立てるほどではなかったように思いましたが、とかく、こういう物は ...
福澤諭吉は勝海舟が嫌いだった?

福澤諭吉は勝海舟が嫌いだった?

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明治草創期、新政府で勢威をふるった薩摩・長州の二大派閥。 薩摩人は、新政府構築についての意見を勝 海舟に仰ぎ、長州人は福澤諭吉に求めたといわれています。 二人は、まさしく、当時を代表する新時代の知識人だった。 勝も福澤も ...
吉田松陰を育てた母が説く風呂の効用

吉田松陰を育てた母が説く風呂の効用

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 幕末の思想家・吉田松陰について私が強く印象に残った話があります。 松陰の生家は、松陰の母が嫁いでくる以前は極貧の中にあったそうで、何故そうなったかというと、松陰の祖父が異常なほどの本好きで江戸詰め時代も家族への仕送りな ...
宇喜多直家の成長戦略

宇喜多直家の成長戦略

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 戦国時代、今日の岡山県一帯に盤踞した戦国武将に宇喜多直家という人物が居ます。備前から、備中、美作の一部まで、ほぼ、今日の岡山県に相当する版図を一代で切り取ったほどの武将です。といっても、意外に知られていない人物で、むし ...