鍋、それは暖かさ
鍋、それはハートフル。
鍋、それは愛……
ああ、鍋ゆえに日本人の心はどれだけ温かく豊かになれたのであろうか……と言えるくらい日本人にとって鍋料理は親しまれている料理です。
鍋料理というものは、世界いたるところにある料理で、シチューなども鍋料理なんですけど、日本のように家族や仲間たちが、土器や鉄器の鍋を囲んで、しかも火にかけたまま一斉に食べるなんていう料理は、ちょっとめずらしいのです。火を囲んで食べるなんて、キャンプファイヤーや炊き出しみたいだし。
そもそもヨーロッパでは、鍋で煮込んだ料理は、それぞれのお皿に入れてから出すもの。家族が調理器具である鍋から、しかも下から火で炊き込んでいる最中の料理を、おのおのスプーンやフォークで取るなんてことは、あまり聞いたことがない。
わたしたちは当たり前のように食べている鍋料理は、そんな世界的にみてちょっとめずらしい料理と言えるのです。
では、なぜ日本の鍋料理は独特の発達を遂げたかというと、日本の田舎などにはいまでも残っている囲炉裏の影響があったからではないかと考えられています。日本の場合、煮炊きするのは囲炉裏が居間の中央にある以外に、台所にカマドが主に調理に使われていました。
ヨーロッパの場合、カマドやコンロ、あるいは暖炉が調理に使われていました。カマドやコンロが調理のためだけにあるとすれば、囲炉裏や暖炉は、暖房にも調理にも使え、さらに照明にも使えるという一石三鳥の家具といっていいでしょう。
暖炉が壁に面して作られているのに対して、囲炉裏は居間の中央に設置されているので、囲炉裏を囲んでの食事となります。家族や仲間が、ひとつの囲炉裏を取り囲み、同じ鍋から食事をしていたのでしょう。これが日本の鍋料理を発達させたと考えられます。
ではなぜ日本は暖炉ではなく囲炉裏だったのか?
おそらくヨーロッパは石と煉瓦の家で日本は紙と木と藁(わら)で出来た家という住宅文化事情が関係していると考えられます。紙と木と藁でできた家ですから、壁に炉を作りにくかったという事情もあります。
囲炉裏の原点は、室内での焚火(たきび)ですが、これにはいくつかのお得な事情がありました。
一家の中心に囲炉裏があれば照明器具であるロウソクも行灯(あんどん)の油もいらず、料理もできてなおかつ暖房になり、囲炉裏を中心に炎や鍋を囲みながら家族のコミュニケーションもとれるのですからいいことづくめといえましょう。
暖炉は煙突があり煙を野外に逃しますが、紙と木と藁でできいてましてや茅葺(かやぶき)が多かった古い日本家屋では、煙を逃すための煙突は特に必要ではなく、むしろ藁葺き屋根なので、防虫になってお得という面と持っています。
囲炉裏の燃料は、裕福な人は煙のでない炭を使いましたが、一般には薪(まき)を使いました。薪は裏の山にいけば、木がたくさんあり無料で手に入るものですから、ヒマのあるときに拾いに行き、適当な太さに割って軒下などに干して乾燥させます。しっかりと乾燥させておかないと、火がつきにくいうえ煙が出すぎてしまうのです。
さきほど、煙は防虫になってお得と書きましたが、それは多少の煙のことであって、江戸時代以前の家屋には煙突の文化がありませんでしたので、煙が多いと相当に煙かったはずです。煙のために眼病にかかる人も多くいたといいますから、ここは囲炉裏の損得でいうと損なところと言えるでしょう。
薪を拾いに行くのは年寄りや子どもの仕事です。むかしばなしに出てくる「おじいさんは山に柴刈りに」というのは薪拾いに行っていることで、決してゴルフ場の芝を刈りにいっているわけではありません。柴とは小さな雑木という意味です。小さな犬のことを柴犬といったがごとく、柴には小さいという意味もあります。ちなみにむかしばなしのおじいさんが山で柴や薪を拾っていたのは、自分の家のためだけではなく、他の家に柴や薪を売っていたと考えられています。
田畑で働いたり力仕事ができなくなった老人は、そういった人の代わりに山で薪を拾うことで生計に役立てることができました。
労働力が不足している家では、一家総出で働かなくてはなりませんでした。そういったとき、独居老人や力仕事が出来なくなった老人は、薪拾いをして売ることでお得。労働力が不足している家にとって薪を売ってくれてお得というわけです。
(食文化研究家 巨椋修/絵:そねたあゆみ)2013-06