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徳川時代から続く現代日本人の就職観

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1111-4先日、加藤(清正)家の家臣団の一覧表を見た際、やたらと、「旧OO家家臣」という添え書きが目につくことに気づきました。

これは、門閥によらない人材登用を推進した織田信長の登場と、その薫陶を受けた豊臣秀吉の勢力範囲拡大に伴い加速度的にそういう風潮が広まっていった結果だと思いますが、その意味では、戦国という時代は実力さえあれば高給に応じて転職し、自らのステップアップを図ることができる「大求人時代」であったと言えるのでしょうか。(その辺を端的に顕しているのが、「武士たるもの七度、主君を変えねば武士とは言えぬ」とうそぶき、最後は伊勢津藩32万石の藩主にまで上り詰めた藤堂高虎の存在かと。)

ところが、その日本中の流れに染まらなかった異質な集団があります。

「徳川家」です。

その辺の異質さを示す話として、徳川家康の重臣で秀吉に引き抜かれた石川数正という人物がいるのですが、家康が秀吉に屈して後、秀吉が同じく家康の重臣である井伊直政を大阪に招いた際にそこに数正を同席させたところ、直政は数正を見るなり、露骨に不快感を表し、罵倒した後、そのまま退席した・・・という話があります。

秀吉にしてみれば、何も、数正を辱めようとして同席させたわけではなく、「知り合いが居た方が直政も気がほぐれるだろう」という程度の配慮からだったのでしょうが、現代の我々日本人の感覚からすれば、むしろ、直政よりも秀吉の感覚に違和感を感じられる方が多いのではないでしょうか?

その意味では、当時の日本人の就職に対する感覚はむしろ今のアメリカ社会に近かったようで、その辺を端的に表した話があります。

ソニーの創業者の一人、盛田昭夫氏がアメリカへ進出して間もない頃、これはと見込んだアメリカ人社員に一から仕事を教え、ソニーのノウハウを伝授し、ようやく一人前になった・・・と思っていたところ、その社員はあっさりと高給を提示されたライバル企業に転職してしまい、盛田氏は思わず人間不信に陥りそうになったそうです。

ところが数日後、あるパーティでばったりその元社員と会ったところ、彼は思いっきり笑顔で普通に「ハーイ、アキオ!」と話しかけてきたのだとか・・・。

そう考えれば、今の日本人の感覚というのは徳川家の時代が300年近くも続いたことに縛らているということの裏返しであるとも言えるのではないでしょうか。

つまり、もしも、信長・秀吉の時代がその後の日本のスタンダードになっていたとしたら、パナソニックからサムソンに転職した技術者が他の日本の電機メーカーに再就職できない・・などというような話はなかったのではないかと・・・。

その意味では、我々は未だに徳川家の時代の「洗脳」から解き放たれていない・・・といえるのかもしれませんがでも、これは無理もない話であって、秀吉没後、忠君報国の価値観は帝国日本にも受け継がれたことを考えれば、実際には350年、そういう価値観の時代が続き、対してその価値観に縛られなくなってからはまだ65年程度しか経っていないわけで。

(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)

2011-11

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