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日本料理を圧迫し続けた武士階級

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カラー3 世界の名のある料理というのは、その多くが支配階級の舌や胃袋を満足させるために発達してきたものがほとんどです。
しかしなぜか日本の支配者たちは、あまり日本料理の発達に貢献していないのです。
お公家さんたちが贅を尽くして楽しむという料理はやがて廃れてしまいましたし、だいたい江戸時代になるとそのお公家さんたちは極貧にあえいでいる状態で、帝でさえ「腐った魚を食べさせられている」とまで言われたくらいでした。
いっぽうの現実的に日本を支配していた武士はというと、日本料理の発達に手を貸したというより、むしろ、庶民たちが豪奢な料理を楽しもうとすると“倹約令”などというものを発行して、料理を圧迫する方が多かったのです。
なんといっても武士は食わねど高楊枝、武士たる者質実剛健でなければならぬというのがタテマエ。
名君と言われる将軍や大名は、徳川吉宗や上杉鷹山など、とにかく質実にして倹約を奨励する人たちばかりで、少しでも贅沢をする将軍や大名はバカ殿呼ばわりでした。
もっとも、武士が質実剛健であるべきというのはタテマエで、ある程度余裕のある武士は、結構享楽に通していたものです。
元禄時代を生きた尾張藩の御畳奉行である朝日文左衛門という人は筆まめな人で、膨大な日記を書き残しているのですが、その多くが日々食べたり飲んだりしたことを書き残しています。
ある程度裕福であれば、武士は3日に1回だけ出仕すればいいだけのことで、お城に行っても大した仕事があるわけではなく、同僚とお弁当を自慢しあったり、昼間からお酒を飲んだりしていたことが記録されています。
しかしそのような武士もいましたが、武士全体を見てみると、決して庶民に比べて特に裕福というわけでもありませんでした。
江戸時代の武士の平均所得を調べてみると、中の上程度の農民所得と同じくらいで、ほとんどの武士は内職をしないと武士の体面が保てないどころか、食べていけなかったほどです。
ある大名が家臣と城内で話しをするとき
「きょうは、体調が優れないので座布団を使うのを許してくれ」と、たかだか座布団すらも遠慮しながら使ったという逸話が残っているくらいです。
いっぽう、ヨーロッパや中国の支配者階級は、贅を尽くすことが美徳であり、とにかく贅沢をすればするほど、すごい王様ということになります。(食文化研究家 巨椋修)

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