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駄菓子の食文化

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(絵:そねたあゆみ)

●子どものお小遣いで買えるのが駄菓子
 どんな人でも子ども時代があり、どんな人でも子ども時代の楽しみの一つに駄菓子を買って食べるということだったのではないでしょうか?
 昭和生まれの私の場合、子どもの頃はまだ駄菓子屋というものが町に何軒かありました。もし駄菓子とは何かと定義するとしたら、小学生でも手軽に買えるお菓子ということになるでしょう。
 昭和の時代にあった駄菓子屋というのは、駄菓子だけでなく子ども向けのちょっとしたオモチャ、メンコとかビー玉とか、夏には花火とか女の子向けのビーズとかが売っているお店で、子どもたちの社交場でもありました。
 地方によって違いますが、ちょっとした軽食を食べさせてくれる駄菓子屋もありました。関東ならもんじゃ焼き、関西ならお好み焼きやたこ焼きなどなど。また駄菓子だけではなくお醤油や小麦粉などといったものを一緒に売るお店もありました。

●駄菓子の歴史は江戸時代から
 駄菓子というのは、おそらく江戸時代に生まれたものであろうと推測できます。
 それ以前の時代だと、子どもたちがお小遣いをもってお店に行くということが考えにくいのです。食べ物を屋台で売るようになったのが江戸時代で、それも江戸や大阪といった都会からでした。
 外食店は江戸の初めの頃にはありませんでした。人口が増え、豊かになってはじめて外食というものができるようになるようです。まして子ども向けの駄菓子屋というのは食うや食わずの状態では生まれません。
 江戸時代、子どもに水あめやちょっとした安いお菓子を行商などで売るようになり「一文菓子」などと呼ばれていたようです。一文をいまの値段に換算すると、15円から35円くらい。子どものお小遣いで買える値段ですね。
 ただしそれは、江戸大阪といった都会や各藩の城下町だけで郊外となるとそんなものはなかったかも知れません。江戸時代の田舎の子どもは現金をもらうことはなかったでしょうし、彼らのお菓子は山に生る果実や親が作った干し柿であったでしょうから。
 これは昭和初期の田舎の子どももそう変わらなかったかも知れませんね。

●昭和が駄菓子屋の全盛期だったのかも
 駄菓子屋がもっとも輝いていたのは昭和の時代でありましょう。第二次世界大戦が終わり、日本は敗戦。でも日本人はがんばりました。戦後しばらくして高度成長期がきます。この時代が駄菓子と駄菓子屋の全盛期であったかも知れません。

●いまや懐古趣味となった駄菓子屋
 しかし昭和末期になると、駄菓子屋に大きなライバルが現れます。それはコンビニエンスストア。この新しいスタイルの店舗は、まるで外来種の動植物が在来種の動植物を駆逐するがごとくの勢いで、駄菓子屋のみならず他の小売店を飲み込んでいきました。
 子どものコミュニケーションの場であった駄菓子屋はどんどん減り、子どもたちはコンビニで駄菓子を買うようになります。
 しかし駄菓子屋がなくなってしまったというわけではありません。都会には新しい駄菓子屋が生まれてきました。そのお客は子どもだけではありませんでした。昭和を懐かしむ大人たちも集まってきたのです。
 中には子どもは入れない『駄菓子居酒屋』や『駄菓子バー』といったお酒を楽しむ場まで生まれました。
 また、町の駄菓子屋に来るのは子どもとは限らなくなりました。大人が子どもたちにまじって懐かしい駄菓子やおもちゃを買いあさるのです。そして指をくわえる子どもの横で一気に大人買い! 大人買いというのは子どもにはない経済力にものをいわせて駄菓子などをまとめてどーんと買ってしまうことをいうのですが、これをやっちゃう。
 21世紀、平成の駄菓子屋は子どもだけでなく大人も食指を動かす場となったのです。
 駄菓子は大手のお菓子メーカーだけではなく、小さな町工場のものもたくさんあります。
 そういうところでは、懐かしい駄菓子を作っているのですが、ご多聞に漏れず後継者不足で工場を締めざるを得ないところも多いと聞きます。時代の流れは止められませんが、ちょっと残念な気がします。
 たかが駄菓子というなかれ、子どもには子どもの食文化があります。これからも駄菓子がなくなることはないでしょう。いまの子どもたちが大人になったとき「ああ、このお菓子子どもの頃によく食べてた。懐かしいー」というときがくるのでしょうね。
(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))
2017-11

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