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大ピット小ピット   

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(絵:吉田たつちか)

 「イギリスでは、大ピット、小ピット、チャーチルをして三大名宰相と呼ぶ」と。実は私はこの話を聞いたとき、少し意外な観があった。チャーチルといえば、言うまでもなく、ヒトラーに敢然と立ち向かった第二次世界大戦の指導者で、大ピットは「事実上の初の世界大戦」と呼ばれる七年戦争を指揮し、大英帝国の基礎を築いた人物。
 その点ではここに名を連ねるのは当然かもしれないが、残る一人大ピットの次男である小ピットは、ナポレオン戦争時の首相で、イギリス史上最年少の24歳で首相となった俊英ではあるものの、ナポレオンを向こうに回しての大立ち回りという点では、海軍のネルソン提督と陸軍のウェリントン公爵の盛名に隠れ、印象は極めて薄い。彼をダメ宰相とは言わないが、それでも三大に数えるとなると「もう少し、他に誰かいるだろう」という気にもなる。
 イギリスはピットの尽力により、オーストリア、ロシア、スウェーデンと第三次対フランス同盟を結成、そこへ、ネルソンが自らの命と引き換えにトラファルガー海戦で圧勝し、もはや、ナポレオン投了かと思わせたが、ナポレオンもさるもの負けじと乾坤一擲、アウステルリッツ会戦に快勝し、同盟もトラファルガーの戦果も一気に雲散霧消させてしまった。この敗報がどれほどに衝撃だったのかは、それから一ヶ月半後、「アウステルリッツの敵弾は私にも命中した」との言葉を残して、小ピットが憤死したことが雄弁に物語っているだろう。この点、ドーバー海峡を隔ててナポレオンと対峙していたのは紛れもなく、首相であった彼だったということである。
 トラファルガー海戦でネルソンを失い、続けて、小ピットを亡くしたイギリスで、代わって、ナポレオンを追い詰め、ついに倒したのがウェリントンであるが、その、ネルソンとウェリントンは、生前、一度だけ会っている。
 植民大臣控え室でのこと、叩き上げのネルソンは歴戦の猛将らしく、隻眼にして隻腕。ウェリントンは一目見て、ネルソンだとわかったが、ネルソンはまだウェリントン侯爵となる前のアーサー・ウェルズリー陸軍少将をまったく知らず、ひたすら軽薄な調子で自分の自慢話だけを喋り続けたという。ところが、ネルソンは途中でどうやら、相手がそれなりの地位の人物だと気づいたようで、一度、部屋を出て行くと、扉番に中にいる男が誰か聞いたようで、戻るなり、それまでとは一転して、重厚な口調で、国の状態から大陸の現状や見通しまでを理路整然と話したという。あまり、友人には持ちたくないタイプではあるが、これはこれで凄いと思う。あるいは、豊臣秀吉など、現場の叩き上げから上り詰めたような者には共通す
るものがあったのかもしれない。

(小説家 池田平太郎)2020-05

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