UA-77435066-1

「舟歌」誕生秘話

 | 

(絵:吉田たつちか)

「肴はあぶった イカでいい」、ご存じ、八代亜紀の「舟歌」の出だしの歌詞である。作詞は阿久悠だ。
先日、伊東・宇佐美で、昔、タクシー運転手をしていて、たびたび阿久悠を乗せたことがあり、いろいろ会話を交わしたのだという80過ぎのHさんが、家人の経営するスナックに見えた。彼が言うには、実は、宇佐美のトム(家人が10数年前閉めるまで25年間やっていた店の名前)というスナックで阿久悠が飲んでいた時に、イメージが浮かんで、作詞したのが舟歌だそうだ。
阿久悠本人が亡くなっている今、裏どりできないのが残念だが、ありうる話ではある。
実は、阿久悠は1975年から亡くなる2007年〈平成19年〉までの31年間、宇佐美の別荘地に住んでいた。一人息子の太郎氏は宇佐美中学出身だ。
2009年<平成21年>には宇佐美区民協賛で宇佐美郵便局隣接地に阿久悠顕彰碑が建立されており、伊東市50周年を記念して阿久悠から贈られた「蜜柑と魚と」の詩が刻まれている。
2011年10月には、自筆原稿をはじめとする阿久悠関係資料およそ1万点を遺族から寄贈された明治大学が同大学アカデミーコモン地階1階に阿久悠記念館を開設したが、これらの資料の中に舟歌作詞のいきさつが書かれたノートがあるかもしれないとひそかに期待している。
ちなみに、トムのママ(現在は海辺の小さなスナック小恋路<オレンジ>のママ)は、当時(スナック トム)、阿久悠が何度か飲みに来たことは覚えているものの、舟歌誕生のいきさつは聞いたことがないという。
舟歌には「窓から港が 見えりゃいい」「時々霧笛が 鳴ればいい」とスナックからの情景を彷彿させる歌詞が入っている。
同じく阿久悠作詞の『時代遅れ』(歌手:河島英五)、「男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く」「似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめつづける 時代遅れの男になりたい」、石川さゆりの『転がる石』、「十七 本をよむばかり、十八 家での夢を見て」など、同じようなシチュエーションで綴ったと思える歌が少なくない。
追伸、今回のコラム執筆に際して調べた中で、阿久悠が明治大学文学部文学科日本文学専攻だったことがわかりました。直接的な関係性はないのだが、同じ大学同じ専攻の大先輩でした。宇佐美に在住したのも何かの縁を感じ、氏の歌をカラオケ持ち歌に加えるべく奮闘中です。(ジャーナリスト 井上勝彦)2022-06
//ito-usami.info/orange

コメントを残す