(絵:吉田たつちか)
人類が巨大な脳を持ち、科学文明を発達させるほど頭が良くなったのは、約250万年前、動物の肉を食べるようになったからと言われています。肉の持つ高い栄養やタンパク質が人類の脳には欠かせなかったからです。脳は他の臓器に比べると大きなエネルギーを消費するからです。肉を食べることで人類は脳を現在まで発達させてきたのです。
それどころかテルアビブ大学の研究によると、「人類は最初に肉食として進化し、大型獣を狩り尽くしたあと仕方なく菜食を取り入れた」という説があるくらいです。
食文化研究者のマービン・ハリスによると「人類の歴史の大部分、我々の身体は1日に約788グラムの肉を消費するように適応していた」そうな。日本人の肉類摂取量は1日せいぜい100グラム程度でしょうから、石器時代の人類は現代人と比べて7~8倍もの肉を食べていたようです。
人類は1万年ほど前から、農耕を行うと同時に、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ニワトリ、アヒルなどを飼うようになります。
食べるお肉として人類に愛されたのは、ブタとヒツジをあげることができます。日本人にとって、ヒツジはそれほど多く消費されていませんが、世界的にはウシ、ブタに次いで親しまれているのがヒツジなのです。いまはウシが好まれていますが、食肉として牛が王者になったのは20世紀後半から。育てるのに時間も手間もかかりますからね。その点楽なのはブタとヒツジというわけです。
世界の宗教や民族には、それぞれに食のタブーというものがあって、お肉に関してはイスラム教徒やユダヤ教徒はブタ、ヒンズー教徒はウシ、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒はウマを食べません。遊牧民のモンゴル人はニワトリとサカナをあまり食べないそうです。
食のタブーは、宗教的なものと習慣的に食べるのを避けるものがあり、イスラム教の聖典であるコーランには
「汝らが食べてはならぬものは、死獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞め殺された動物、墜落死した動物・・・」
などとあり、死肉や血抜きしていない肉などは、衛生的に問題があると考えてタブーになったのかもしれません。
一方、モンゴルの英雄チンギス・ハンが制定した法令では「イスラム教徒がやるように獣の首を切り落とす者は、同じように首を切られて殺害される」とし、「腹を割いたら手で心臓を締めるように」と命じています。そして野菜が乏しい遊牧のモンゴル人は、イスラム教徒とは逆に、ビタミン源として家畜の血液を腸詰にしたり、家畜に害がない程度傷をつけて生き血を飲んだりするそうです。
ブタやウシは食べることがタブーとなる宗教や民族がいるのに対して、獣肉ではありませんが、ニワトリをタブーとする宗教や民族はありません。しかし日本の場合、弥生時代にニワトリが大陸より入ってきましたが、「常世(とこよ・永遠に変わらない異世界)の長鳴き鳥」として聖なる鳥とされ、戦国時代に西洋人がやってくるまで、鶏肉も玉子も積極的には食べなかったようです。
日本は海洋国であったせいか、畜産は明治時代になるまでほとんど行われてきませんでした。苦労して家畜を育てるよりも、タンパク質はコメと大豆、魚介類で間に合わせたほうが楽だったのかもしれません。
もっともお肉を食べなかった江戸時代に日本人の体格はずいぶんと小さくなってしまい、江戸時代末期には、男性の平均身長が155センチ程度だったとか。
今の時代、健康を気にしたり太るのを嫌がってお肉を食べない人も多いとか。それで健康で楽しく生活できれば、何もいうことはありませんが、人類は250万年前から、お肉をたくさん食べて進化してきたということもお忘れなく。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)