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情報統制と昔物語

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(絵:吉田たつちか)

 情報化社会の昨今、テレビや新聞が完全に正しい情報を伝えているとは限りません。テレビも新聞はスポンサーありきで運営されていますから、そのスポンサーの意向を反映した情報を伝えているに過ぎないのです。これは言論統制を敷かれていると同じ意味でしょう。為政者や権力者の意のままに情報をコントロールしています。
 実のところ、この状況は何も最近始まったものではありません。例えば江戸時代。大坂合戦を描いた軍記物語『難波戦記』は上方で人気があったものの、江戸で上演ができませんでした。特に徳川家康を追いつめた真田信繫が登場する場面は、厳しく取り締まられたとのこと。大坂合戦が終わり何年経ったとしても、徳川家を脅かした存在を大衆に知られたくなかったのでしょう。
 しかし、大衆は知る権利があります。そこで誕生したのが「真田幸村」という架空の人物なのです。真田信繫を架空の人物とし大坂合戦を描くことで『難波戦記』は言論統制から逃れ、現在まで伝わる軍記物語となりました。
 もうひとつ例をあげましょう。実は『竹取物語』も言論統制から回避するために誕生した可能性があるのです。なぜ言論統制の対象になるかというと、帝が求婚したにも関わらず袖にした女性がいるから。そして忘れてはならないのが、主人公であるかぐや姫が月へ帰る場面。これは、大和朝廷以外の国が日本国内にあったことを示唆しています。これこそが、最大の知られたくない事実です。表向き、日本の統一国家は大和朝廷ですからね。これが揺らいでしまうと、権威が失墜してしまいます。
 このように言論統制から逃れ真実を後世に伝えるための物語化は、もしかすると現代でも行われているかもしれません。こう考えることこそが、情報化社会の中で生き抜くために必要なことです。一方的な情報を信用せず、多角的な視点から物事を見る。それが例え学術的に正しいとされていることであっても、その学説がのちにひっくり返されたことなどごまんと存在するのです。
 とはいうものの、情報を疑いながら生活するのはしんどいものでしょう。日本人は特に、他人を信頼することが尊ばれる国民性ですから。それでも、自身や大切な人を守るためには必要。まずはテレビや新聞のスポンサーはどこなのかを調べるところから始めてみましょう。娯楽作品もまた、スポンサーを知ることが大切です。昔の人が授けてくれた知恵を無駄にしないようにしたいですね。

(コラムニスト ふじかわ陽子)2022-10

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