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福岡人的食始

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1501-05カラー5博多と言えば、多くの方が、まず、「豚骨ラーメン」や「辛子明太子」や「もつ鍋」などを思い浮かべられるようで、従って、福岡人は皆、子供の頃からそれらを食って育った・・・と思われているようですが、実は、私が初めて店で豚骨ラーメンを食ったのは中学一年のとき・・・です。
それまでは、私の周りでは、ラーメンよりはうどんの方が一般的で、特に私はうどんが好きでしたので、どこか店で食べようか・・・というときはうどん屋か、それがないときは、ラーメンではなく、むしろ、チャンポンでしたね。
もっとも、初めて食べた記憶にあるラーメンは小学校低学年くらいのときに食べた非豚骨系インスタントラーメンです。特に、そのちょっと後に出た「チャルメラ」を初めて食ったときには、そのあまりの美味さに母と二人で顔を見合わせましたよ。
その後、中学一年の時に、近所の兄ちゃんに「ラーメン食いに行こうぜ」と言われ、「えー、ラーメン?ラーメンだったら家でも食えるだろう。せっかくなら、うどんの方が」と思いながらも連れて行かれた先が博多駅の地下に今もある、ラーメン屋。
これまた、最初食ったとき、その美味さに驚きました。「えー、店のラーメンってこんなに美味いんだぁ」と。
次に私が始めて辛子明太子を食べたのは高校生くらいのときです。
(もっとも、うちの父は、私が子供の頃から、よく、ご飯のおかずに食べてましたが、ただ、それは、辛子明太子ではなく、普通のたらこでしたけどね。)
当時、まだ若かったですから朝は眠く、寝ぼけた胃では食が進まず、かといって、遅刻など絶対に許されない家庭でしたから、毎朝、父の罵声を浴び地獄でした。それが、ある日、おかずにあった辛子明太(博多では、元々、明太子と書いてめんたいこと言わず、めんたいと言ってました。)を食ったところ、その辛さに、ご飯があっという間に進み・・・、以来、当家では毎日、朝の食卓には辛子明太が並ぶようになりました。(今では、うちの子供たちなどは幼い頃から普通に食べてますけどね。)
最後に、もつ鍋ですが、私が初めて、もつ鍋を食べたのはこれまた平成に入ってから・・・で、27~28歳のことです。当時、勤めていた会社の同僚らから連れて行かれたのが初めて・・・で、これまた、内心、「えー、もつ鍋かよ・・・」と思いながらも、渋々、付いていったところ、「何だ、ホルモン鍋じゃないか」と。
それまでも、街には、「もつ鍋」の看板はありましたが、それほど、メジャーな物ではなく、むしろ、私が子供の頃のごちそうは「とんちゃん」と呼ばれていた、いわゆる、「ホルモン焼き」で、すなわち、ホルモン自体は子供の頃から馴染みがあった・・・と。
つまり、これらすべて、福岡人にとっては、原型となった物は早くから家庭の中にあったんでしょうが、馴染みあるものになったのは割と最近ですね。

(小説家 池田平太郎)2015-02

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