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日本人が愛した大豆の食文化

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(絵:そねたあゆみ)

●大豆なくして日本料理はありえない
 大豆は大陸から縄文時代に伝わったとされています。仏教伝来以来、日本人は徐々に肉を食べなくなりますが、そんな日本人の肉体をささえたのが、たんぱく質豊富で畑の肉とさえ呼ばれた大豆です。
 日本料理には欠かせない味噌、醤油は大豆から作られます。さらに豆腐。その豆腐を油で揚げた厚揚げ、油揚げ、さらに高野豆腐、きな粉などなど、日本人はさまざまな方法で大豆を使って料理を食べてきました。

●ヨーロッパへは日本から大豆が伝わった
 大豆の原産地は中国北部かシベリヤあたりといわれ、日本には前述の通り縄文時代。以来日本人は大豆を食べ続けた。大豆をヨーロッパに伝えたのは、江戸時代中期に日本にやってきたドイツ人医師ケンペルである。
 ケンペルは『犬公方』や『生類憐れみの令』で有名な五代将軍徳川綱吉と謁見しているが、この人物が大豆をヨーロッパに持ち帰り、そのおかげで数多くの大豆を使った料理が生まれることになります。

●日本人の体を支えた大豆
 江戸時代の日本人は、あまり肉を食べませんでした。その肉体を支えたのが大豆食品。たとえば日本人が毎日飲む味噌汁。肉体を作る原料である8種のアミノ酸がすべて入っており、また脳の栄養になるビタミンB群も豊富、腸内細菌が話題になっていますが、味噌汁は腸内細菌を良くし、消化もいい。
 まさに理想的な栄養食品です。
 これは味噌汁だけではありません。他の大豆を加工した食べ物にも当てはまることです。
 さらに味噌汁にはいろいろな具を入れますが、それぞれの具が、大豆に足りない栄養を補強してくれるのです。
 美容やダイエットに効果が期待でき、成人病の予防も期待できる味噌汁をはじめとした大豆食品はまさに最強の食べ物といえるかも知れません。

●もやしは戦中戦後に広まった
 味噌や醤油といった調味料、豆腐やきな粉、豆乳のような豆のカタチを残していないものから、納豆、煮豆、枝豆(ちなみに枝豆は成熟前の大豆です)、節分に撒く炒り豆といった豆の形状を残したものもあります。
 他に大豆を発芽したものを食べる『もやし』があります。もやしは平安時代から記録に残っているのですが、薬として食べられていたようで、日常の食卓にはほとんど出ることはなかったそうです。
 そんなもやしが一気に注目されるようになったのがもやしです。もやしはほんの4~5日あれば収穫できますし、日本人に不足しがちなビタミンCが豊富、他のビタミンも入っておりたんぱく質もバッチリで、これに目を付けたのが軍部。
 積極的にもやしを兵隊の食事に取り入れます。
 戦争が終わると、いまや国民食となったラーメンや中華料理も後押しあり、どんどんもやしを食べるようになります。
 いまの値段でも一袋30~50円くらいで変える安価さ。もやしは戦後一気に日本人の食卓に広まったのです。
 ちなみに現在、もやしは大豆だけではなく緑豆やブラックマッペ(黒豆)なども使われています。

●大豆のほとんどは輸入品
 日本料理には欠かせない大豆食品ですが、国内生産はおよそ5パーセント程度。あとの約95パーセントは海外からの輸入でまかなっているのが実態です。
 これにも実は戦争が関係しているのです。大日本帝国は日清日露戦争後大陸に出て行き日本の傀儡国家である満州国を設立しました。
 この広大な地を大豆の特産地としたのです。それまでは国内で自給できていた大豆ですが、満州という海外から安い大豆が大量に輸入されてきます。
 当然、国内の大豆農家は大豆を作るのをやめてしまいます。その影響がいまでも残っていると考えられます。
 また、満州大豆は、ヨーロッパにも大量に輸出されました。これは食料いがいに大豆を絞って作った大豆油をとるためです。絞ったカスは畑の肥料や家畜のエサとして利用したのです。
 敗戦後日本は満州国を失います。しかし大豆は日本食に欠かせないもの。戦後の日本はアメリカをはじめ海外から大豆を輸入するようになりました。これは何か寂しいことですね。お米の自給率は100パーセントなのに、大豆の自給率はあまりにも少なすぎると思うのは、私だけでしょうか?

(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2017-10

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