渋沢栄一の孫で、戦中戦後に、日銀総裁、大蔵(現、財務)大臣を歴任した渋沢敬三は、「日本の社史、組合史などというのは、そのほとんどが自慢史になっている。順風満帆、一直線にここまで来ましたと。だが、そうではなく、悪いこともちゃんと書くべきだ」と言った。
少し唐突だが、国境とは何か。と、言えば、国境というもの自体、そもそもが、極めてヨーロッパ的な概念であり、中国やエジプトのような国にとってはやや、趣を異にする。彼らにとって、国境とは伸び縮みする物で、すなわち、国に勢いが有る時は、国境は大きく外に向かって伸長するが、無い時は内に収縮し、ときには、完全に消滅することもある。(その証拠に、万里の長城や、ナイル川の難所「急湍」を境界としながらも、現実の国境は必ずしもその通りに推移していない。)
企業また然りで、高度経済成長期のように時代に勢いがあり、トップに能力があるときは大きく拡大させれば良いし、逆に、高成長が望めない時代に、トップにその能力が無いと判断したならば、小さくまとめて暴風雨に備えればいい。いつも、飛躍を続ける必要は無いということである。(そもそも、「破産」「倒産」などというのは、法的な意味で事業の一形態を表したものに過ぎない。形がどうであれ、「業」として継続しているのであれば、たとえ、倒産しても終わっていないということである。)したがって、外面をきれいに飾ることにばかりに終始することなく、失敗や苦しい時代の記憶を継承していくというのは大事なことなのである。
この点を、渋沢敬三は、「イギリスは第二次世界大戦中、日本にプリンス・オブ・ウェールズ、レパントなどの虎の子の主力戦艦を沈められたが、チャーチル首相は、その翌々日の議会でこれを発表した」ことを引き合いに出し、「苦境にあることをうやむやにしない」ことの大切さを語った。(これは何も、民主主義国家だからそうなった・・・ではなく、ソ連の独裁者・スターリンもまた、ドイツ軍の侵攻を受けた際、ラジオとモスクワ各紙を通じ、率直に、ソ連側が、かなりの国土を失った事実と、なお、ドイツ軍が国土の奥深く進撃中であるという深刻な事態を認めた上で、人民に対し、「侵略者が通過する土地を破壊せよ」と呼びかけたという。)
対して、想起するのが、日本の大本営発表・・・どころか、驚くことに、開戦時の東条英機首相はミッドウェー海戦での日本の敗戦を知らなかったとか。うかとは信じられないような話だが、海軍が犬猿の仲の陸軍に自らの失態を知らせなかったというのはあり得る話。が、これでは、さすがに勝てない。日本は負けるべくして負けたと言うべきかと
(小説家 池田平太郎)2024-9