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日本人と肉食と牛乳と

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(絵:そねたあゆみ)

●大正時代、日本人は肉を4グラムしか食べなかった
 これまでも昔の日本人は肉をあまり食べなかったという話しは書いてきました。ある学者が調べたところ、大正時代の日本人における年間のお肉消費量は3.75グラム。かつては肉食をしないと思われていたチンパンジーは、実は狩りをして年間25グラムもの肉を食べるそうですから、いかに昔の日本人が肉を食べなかったのかがわかります。
 日本人が本格的に肉を食べなくなったのは、江戸時代に入ってからで、特に五代将軍徳川綱吉が行った『生類憐みの令』の時代。
 それまではヨーロッパや中国ほどではないにしても、それなりに食べていたんです。ただ、日本には牧畜や養豚の習慣がほとんどなかった。必然、食べる肉は野生の動物か、身近に飼っていた犬。
 戦国時代に日本にやってきた宣教師のルイス・フロイスが
「ヨーロッパ人は牝鶏や鶉・パイ・プラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ」
「ヨーロッパ人は犬を食べないで、牛を食べる。日本人は牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」と書き残しているくらいです。ところが、江戸時代の『生類憐みの令』で、日本人の肉食の習慣がどっと減りました。

●なぜ日本人に『肉の飢え』が起らなかったのか?
『ミートハンガー』という言葉があります。『肉の飢え』という意味。世界の食文化や食の歴史を調べていくと、どうも人類は食肉というものに、特別な関心がある動物らしいのです。
 かつて共産圏だったある東欧の国では、食料は配給制でした。あるとき旧共産圏のある国で、肉の配給が滞ったことがあり、そのため大規模なデモが起ったことがあります。まさに「肉を食わせろデモ」と言っていいでしょう。ちなみにその他の食料で、カロリー的にはまったく問題なかったにも関わらずです。
 アフリカやアマゾンの部族でもしばらく肉が手に入らないと、女たちが男たちにハッパをかけたり「肉を持ってこないとセックスはお預け」と脅したりして、男たちを狩りへと追い立てるといいます。
 そして肉が手に入ったら、たちまち祝宴がはじまったといいますから、やはり肉は特別な食べ物と言えるでしょう。
 ところが日本の江戸時代では肉をほとんど食べなくなったにもかかわらず、ミートハンガー(肉の飢え)現象はおきませんでした。
 その理由としては、日本には仏教伝来のときから『聖なる米、穢れた肉』という思想があったとと、あまりにも米が美味しすぎたことにあると推測できます。
 前回も書きましたが、江戸時代の日本人は1日5合の米を食べていました。それだけで一日に必要なたんぱく質をほとんど摂取することができました。
 そして日本のお米は、例え肉がなくても満足できるくらいに美味しすぎた。
 米だけでたんぱく質をほぼ摂取できるのですから、ある意味、米さえお腹いっぱい食べられたら、それほど肉への欲求は起きなかったのでしょう。
 ただし玄米は完全食ですが、白米となるとその栄養分をかなり削りとられ、さらにビタミンB群もとってしまうので、白米の過食は脚気(ビタミンB1欠乏症)になりやすいという欠点があります。
 日露戦争の兵隊さんたちは「兵隊に入ったら、白いお米を腹一杯食べられる」というので集めたため、白米ばかりを食べ続け、多くの人が脚気にかかり、日露戦争の日本系戦死者・病死者約75%もいたというから、逆にいえば、どれほど日本人がお米を求めたのかがわかります。

●日本人は牛乳も飲まなかった

 日本人は牧畜の習慣がなく、また牛乳の飲む習慣もありませんでした。飛鳥平安時代にはヨーグルトやチーズのようなものを作ったりしており、また江戸時代では将軍吉宗が牛乳を飲んだという記録はありますが、基本的に当時の日本人は牛乳を飲んだり乳製品を作ったりすることはありませんでした。
 江戸時代の商人で、大黒屋光太夫という人物がいました。船でロシアに漂流し、ロシア人に助けられ、なんとユーラシア大陸を横断し、サンクトペテルブルクで女帝エカテリーナ2世と謁見した後に日本に帰国したという数奇な人生を歩んだ人ですが、助けられたとき、初めて牛乳を飲みます。
 何も知らずに飲んだときは美味しいと感じたらしいのですが、その後その白い飲み物が、牛の乳と知ったあとはとても気持ち悪くなり、飲む気にならなくなったといいます。
 肉食も牛乳を飲むことも、日本で本格的に定着したのは、太平洋戦争が終わってからと言っていいでしょう。
(食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2017-09

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