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時代が激動するとき食文化も激動する

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(絵:吉田たつちか)

●食文化を激変させた明治維新、太平洋戦争、もうひとつは
 時代が変化するとき私たちが食べるものも変化します。世界を見ると、例えばフランス革命が起こったことで、宮廷料理人が職を失いパリの街で食堂をはじめました。これがレストランのはじまりです。
 日本において大きな食文化の変化は、明治維新で西洋や中国の料理が入ってきます。もうひとつは太平洋戦争での敗戦後に欧米の文化が怒涛のように入ってきました。実はもうひとつ、日本の食文化が激動した時代があるのです。
 それは関東大震災。

●関東大震災が外食を広めた
 1923年(大正12年)9月1日、帝都大東京に未曾有の大地震が襲いました。死者行方不明者が10万5千人、東日本大震災の死者行方不明者が1万9千人であったことと比べるといかに被害が大きかったかがわかります。
 関東大震災は大量の生活困窮者を生んでしまうことになります。政府はその生活困窮者を救うために安価で食事ができる公営の「公衆食堂」の設置を進めたのです。「公衆食堂」は大正9年に神楽坂に生活困窮者のために作られたのが第一号ですが、関東大震災まで公衆食堂を利用するのは、本当に困窮している底辺層のみで、一般の人はあまり利用しませんでした。
 その理由のひとつがまだ日本には外食の文化があまり浸透していなかったこと。基本、家で食事をするかお弁当です。あとはせいぜい屋台で食べる程度。それ以外の外食といえば料亭などですから、庶民は外食とかはそうそうできません。
 しかし関東大震災で大量の困窮者が出て、一般人も食堂で食事をするという外食文化が少しずつ根付いていったわけです。外食という文化が根付いてくると、当然民間でも食堂をやる人たちが出てきます。その人たちが目をつけたのが、それまで高級だった西洋料理を、庶民でも食べることができるよう安価で提供しようとするものでした。

●外食文化から洋食が広がった
 当時の日本人にとって、西洋料理は憧れのもの。庶民には手が届きません。そこで西洋料理を日本風に改良したトンカツやコロッケ、カレーライスが大衆食堂に出るようになります。
 トンカツといっても、ペラペラの薄い肉に衣をつけたもの。コロッケの中に入れるミンチは内臓肉と、現在のものと比べれば粗末なものでしたが、当時の庶民にとってはそれでも特別なものでした。
 洋食が広まるということは、洋食にともなってソース、ケチャップ、マヨネーズといった洋食用の調味料も広まることになります。

●ちゃぶ台の普及
 いまみなさんのお宅での食卓はキッチンでのテーブルでしょうか? 居間でちゃぶ台でしょうか? 実は日本では食事をするときテーブルはもちろん、ちゃぶ台でもありませんでした。一人ひとりがそれぞれのお膳を使って食事をしていたのです。
 一人ひとりが個人用のお膳で食事をするという日本独特の伝統食文化は、いまでは旅館くらいでしか見られません。この伝統食文化を一気に吹き飛ばしたのが、関東大震災でした。
 ちゃぶ台のちゃぶとは漢字で書くと「卓袱」、別の読み方をすると「しっぽく」です。「卓袱料理」とは長崎の中国料理のこと。
 明治時代になり、横浜などで外国人相手に食事を出したりする宿を「ちゃぶ屋」といいました。町にも西洋料理や中国料理のお店が出るようになります。その店のテーブルが「ちゃぶ台」と呼ばれるようになります。
それまで日本の料亭や居酒屋、茶屋にもテーブルで食べるなんてことはありませんでした。だから時代劇の居酒屋なんかで、テーブルを囲んで酒を飲んでいるってのは間違いってことになりますね。
 その「ちゃぶ台」も、関東大震災までは家庭に入っては来ませんでしたが。震災という大破壊の後一気に広まったと言われています。
まあ、家族で食事をしているとき、お醤油ひとつ取るのも、片づけるのも一人ひとつのお膳よりちゃぶ台の方が楽ですものね。

 という具合に、関東大震災は、食文化にも大きな影響を与えたのでした。時代が激動するときは食文化も激動するのです。

(食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ))2020-11

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