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イタリアのピザが世界に広まったわけ

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(絵:吉田たつちか)

 いまや世界中で愛されているピザ。ピザの歴史は16世紀にスペイン人が、南米からトマトをヨーロッパに持ち帰って始まったとされています。ただトマトは毒があると思われていて、最初は観賞用として広まりました。
 一説によると、ある日貧しい庭師が、貴族の庭に生えていたトマトの実を、空腹のあまり食べてみたところ、死ぬわけでもお腹を壊すわけでもないと知り、貧しい人たちがトマトを食べるようになったそうです。
 18世紀になるとパンにトマトとチーズを乗せ、焼いて食べるようになったといいますから、現在のピザは18世紀に発祥したと言ってもいいかもしれません。やがてピザはナポリなどで屋台や露天で売られるようになります。
 1889年イタリアの王妃のマルゲリータが「庶民が食べているピザなるものを食べてみたい」と言い出し、献上されたものを食べるとその美味しいこと。モッツァレラチーズ、トマト、バジルの葉を乗せたピザを大いに気に入ったといいます。そう、これがいまも愛されているピザ・マルゲリータです。
 1920年までには、ピザは400万人を越すイタリア人の移民たちによって、アメリカに伝わり、いまやアメリカ人の国民食とまでいわれるほど食べられるようになりました。なんでもアメリカ人は1時間に12万6000個も食べているとか。
もっとも最初は、ニューヨークのイタリア移民だけの食べ物でした。それまでのピザは食事どきに座って食べるもので、提供するときも切っていませんでした。すると1933年、あるピザ職人が、カットしたピザを一切れずつ売ることを思いつきます。すると歩きながら食べることができました。
 ピザをアメリカ中に広めたキッカケは第一次世界大戦だったといいます。ヨーロッパで戦った兵士たちが、イタリア人街に立ち寄り、たちまちとりこになったとか。
 そして全米に広まったピザは、生地の薄いニューヨークピザ、深い皿で焼き上げ生地も具も多いシカゴピザなど、多くのアメリカ産ピザが誕生します。最初はイタリア移民だけだったピザが、アメリカのピザとして定着しつつありました。
 1958年、イタリア系でもなく飲食店の経営経験もなく、ピザを食べたこともほんの数度だけというフランクとダンのカーニー兄弟がカンザス州のウィチタで、一軒のピザ屋を出します。店の名前は「ピザハット」、開店して半年後に2号店を出すほどの繁盛ぶりで、3号店、4号店とお店は増えていき世界最初のピザチェーンとなり、いまでは世界で1万6000店舗を超える世界最大級のピザチェーンになりました。
 1960年、トムとジェームスという兄弟が、ミシガン州イプシランティのピザ店「ドミニクスピザ」を買い取りました。ピザの作り方は5~10分程度習っただけ。開店当初は、残念ながらお客が全然入らずジェームスは店を辞めました。しかしトムは頑張り、店名も「ドミノピザ」に変えました。
 そして近くの車を持たない学生に宅配するアイディアを思いつきます。「30分を超えた場合は無料」というシステムも受け、世界に19500店舗とやはり世界最大級になりました。
これらを可能にしたのはピザ職人の腕前ではなく機械化のおかげと言えるでしょう。
 最初イタリア人だけのものだったピザが、アメリカに渡りやがて大手チェーン店で、全世界で気軽に食べることができるものとして広まったのです。
 日本でもピザを提供するお店は昔からありましたが、広く食べられるようになったのは、大手チェーンが進出した80年代あたりからです。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)2023-08

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