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みんな大好き『粉もん』の食文化

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(絵:吉田たつちか)

・「粉もん」とは何か?
 まずこの文において「粉もん」とは「小麦粉、米粉、そば粉など、粉から作る食べ物のこと」と定義しておきましょう。そば・うどん・たこ焼き・お好み焼き・もんじゃ焼きなど全部粉もんです。
 海外に目を向ければ、ピザもパスタも粉もんと言えるかもしれません。中国の饅頭も、ロシアのピロシキも粉もんですね。
 こうやって世界も含めて粉もんを見ると、ある特徴が見えてきます。それは「安価な食べ物」という共通点。粉もんは庶民の食べ物なのです。

・戦国時代にお好み焼きのルーツがあった?
 粉もんの本場といえば大阪ですが、粉もんの代表と言えばお好み焼き、そのルーツがいまからおよそ500年前に活躍した千利休が編み出したという茶菓子「ふの焼き」だといいます。
 利休以前は小麦粉を水で溶いてから焼くということがなかったんだとか。まあさすがに「ふの焼き」をお好み焼きのルーツというのは苦しいかも知れませんが、庶民の味、粉もんを語るとき、あまり細かいことは抜きにしましょう(笑)

・子どもの駄菓子からはじまった粉もん
 現代の粉もんのルーツはどうも明治時代に出てきた子ども相手の駄菓子である文字焼き(もじやき・もんじゃやき)であると考えられています。
 その頃の文字焼きは、水で溶いた小麦粉に砂糖を煮つめた蜜を混ぜて焼くか、小麦粉を焼いたものに蜜を塗って食べるというシンプルなものだったといいます。
 やがてこれが、干しエビとか野菜とかを混ぜてソースをつけて食べる「もんじゃ焼き」や「お好み焼き」に進化していったといいます。
 最初は子どもの駄菓子だったんですね。

・大阪と粉もん
 大阪で粉もんが急速に発達したのは、太平洋戦争中の米不足のため、代用食として小麦粉食を工夫するようになったこと。さらに敗戦後、GHQの食糧支援として小麦粉が安価で手に入るようになりました。
 そのなかの1つに「一銭洋食」があります。文字通り一銭で食べられる洋食という意味で、小麦粉にキャベツやネギといった具材を乗せてソースをかけて食べるというもの。
 戦後の当時は、ソースをかけたら何でも洋食という雰囲気で、やがてこの具材にいろいろな種類が増えてきました。
 そこで「お好みの具材で食べる」という意味で「お好み焼き」と呼ばれるようになったという説もあります。
 そのうち兵庫県の明石では「たこ焼き」の原型となる「明石焼き」が生まれ、明石焼きはだし汁につけて食べますが、大阪に上陸すると、ソースをつけて食べるようになり「たこ焼き」となります。

・鉄板系粉もんと大阪ソース文化
 お好み焼き・たこ焼き・焼きそばといった鉄板系の粉もんにはソースが欠かせません。そのソースも大阪の人には独特のこだわりがあるようです。
 関東の人には理解できないかもしれませんが、大阪や神戸の家庭にはトンカツ用、お好み焼き用、たこ焼き用といった用途別のソースが常備されているなどということはめずらしくありません。
 日本で最初にソースが普及したのは明治時代の神戸で、関西では早くからソースはハイカラなものとして広まっていきました。やがて関西の人は、天ぷらや肉まんにもソースをつけて食べるようになります。
 そして「とんかつソース」や「お好み焼きソース」が誕生、もしかしたら鉄板系の大阪の粉もん文化とソース文化は、車の両輪なのかも知れませんね。

(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)23-12

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