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戦争に勝って責任を取らされたゴルダ・メイア

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(絵:吉田たつちか)

 「ウクライナ戦争はロシアが完勝したら終わる。しかし、ガザはイスラエルが勝っても終わらない」。どういうことか。ロシアのプーチン大統領も、イスラエルのネタニヤフ首相も、ともに、国内ではそれなりに批判がある身。「負けました」は失脚に直結するから間違ってもそうはならない。が、国内をなりふり構わず抑え込んでいるプーチンと違い、ネタニヤフは直前まで弾劾が叫ばれていた身。停戦ということになれば、必ず、奇襲を許した責任を問われる。つまり、ネタニヤフとしては、戦争は長く続けば続くほど良いということ。ここが、ウクライナ戦争とガザ紛争の大きな違いです。
 この点で、おそらく、ネタニヤフ首相の頭にあるであろう例が、イスラエルの第5代首相にして同国初の女性首相であるゴルダ・メイア元首相でしょう。メイアという首相は見るからに一筋縄ではいかないようなお婆ちゃんでしたが、そのやり手の女性首相にとって、思わぬ蹉跌となったのが、1973年10月に勃発した第四次中東戦争でした。
 当時、アメリカはこの前年に起きた(起こした?)政治スキャンダル、ウォーターゲート事件に揺れており、ニクソン大統領に代わって、事実上、アメリカ外交の采配を振るっていたのは、同じユダヤ人であるキッシンジャー補佐官だったと。そのキッシンジャーは、外交評論家の宮家邦彦氏によると、エジプトのサダト大統領から相談を持ち掛けられた際、「あなたはイスラエルとディール(取引)したいのか?したいのであれば、戦争に勝たないとダメだ。戦争に負けている限り、そんなことはできない」と言ったそうで、「もっともだ」と思ったサダトはソ連製の武器で武装、ユダヤ教の重要な休日である贖罪日に奇襲に討って出た。
 奇襲は見事に成功し、メイアは一時、イスラエル滅亡を覚悟したというが、アメリカの支援もあって、イスラエル軍は逆襲に転じ、サダトは逆に、敵中に孤立したエジプト兵5千人の殲滅か、和平受諾かを迫られる羽目になる。が、一方のメイアもアメリカからの停戦圧力はあっても、既に少なからぬ死傷者が出ていたことから、ここで停戦となれば、戦後、奇襲攻撃を許したことの責任を問われることは必至で、そのため、「ミセス・ノー」の異名そのままに、停戦圧力をはねつけ続けるため、サダトが受け入れ不能な要求を出す。が、案に相違して、サダトがこれを受け入れてしまったことで停戦。メイアは、「敵と戦う方が味方と戦うより易しい」と言ったというが、戦後、その言葉の通り、彼女は国民からの激しい批判を浴び失脚。一方のサダトは、イスラエルとの取引という当初の目的は達したが、エジプト軍の反発を受け、暗殺された。 (小説家 池田平太郎)

(小説家 池田平太郎)2024-4

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