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維新の三傑 

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絵:そねたあゆみ

 イタリアが統一国家となったのは1870年・・・と言うと、日本の明治維新が1868年ですから、「何だ、日本より遅いじゃないか」と思われる向きもあるかも知れませんが、実は日本が封建制を脱し、統一国家となったのは明治維新から・・・ではなく1871年の廃藩置県からでして・・・。その意味では、むしろ、明治維新は1861年のイタリア王国建国に比定するでしょうか。(最終的に「未回収のイタリア」を併合し、イタリア王国が完成を見るのは、第一次世界大戦後。さらに、現在の版図になるのは、第二次世界大戦の敗戦を経て、1975年にトリエステ自由地域をイタリアとユーゴスラビアで分割して以降。)

 では、日伊とくれば、第二次世界大戦の三国同盟のもう一つ、ドイツはどうだったかというと、それまで、35の君主国と4自由市による「ドイツ連邦」だったのが、中核国家プロイセンがオーストリアに勝利し、統一の主導権を握ったのが1866年。さらに、ドイツ帝国が成立したのが普仏戦争で宿敵フランスを破った1871年。(ちなみに、日本では、ドイツ統一と言えば、1990年の東西ドイツ統一を思い浮かべる人が多いようですが、ドイツではドイツ統一はあくまで1871年の統一を言い、1990年のそれは「ドイツ再統一」と呼ばれているのだとか。ちなみに、ドイツ統一が二回あったように、中国の「天安門事件」も二回あったのを最近の人は見事に知らないみたいですね。第一次天安門事件で失脚した鄧小平が、第二次天安門事件で弾圧したわけで、そう聞けば、びっくりする人も多いのではないでしょうか。)

 話を戻しますと、日独伊三国はそこに至る指導者の顔ぶれも微妙に似通っています。つまり、イタリア統一の三傑とドイツ統一の三傑は、その果たした役割で「維新の三傑」に似る・・・ということですね。イタリアは、悪名を恐れぬ辣腕の現実主義者カヴール、軍事的名将ガリバルディ、理想主義的批判者マッツィーニ。これは、そのまま、ドイツのビスマルク、モルトケ、ローン、そして、日本の大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允にします。

 まあ、もちろん、日本でも三傑だけが維新を主導したわけでもないし、生い立ちや役割など、微妙に違うところはあるのですが、それでも、三傑がこういう形で分類されるというのは、たまたまの偶然などということではなく、あるいは、民族が興隆するときの一つの形なのかも知れません。そう考えれば、同じ時期に同じような形で「世界」にデビューした三国が、曲折はあったにせよ、ともに第二次世界大戦の敗戦国となったのも、あるいは、歴史の必然だったのかも。
(小説家 池田平太郎)2019-09

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