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王様の観光旅行

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(絵:吉田たつちか)

 王様ともなれば、いつも、行きたい所に自由に行けていいなあって気がしますよね。でも、実際には、国王、独裁者などの観光旅行というのはあまりありません。あの、織田信長も出張や遠征はあっても、観光らしい観光となると、武田氏を滅ぼした帰りに徳川家康の案内で富士山を見たくらいで、他は近所の日帰り旅行くらい。彼らが、気軽に観光にいけない背景には、迂闊に家を空けると、その隙に反対派がクーデターを起こし、失脚する可能性がある・・・ということもあるのでしょう。(その最たるものが武田信玄の父、信虎。娘の嫁ぎ先である隣国・今川氏を訪問し、そのまま、追放されてしまいました。)
 しかし、実のところを言えば、それ以前に、権力者の多くが自分のテリトリーから出ることに、それほど魅力を感じていないということがあります。豊臣秀吉の息子、秀頼は生まれてから大坂城を出たのは、徳川家康と面談する際の一度だけ。その、徳川将軍もまた、少なからず江戸城の中だけで一生を終わっていますし同様のことは、明治天皇より前の天皇家についてもいえます。家の中が快適すぎて、わざわざ、出る必要性を感じないんですね。私のような小市民からすれば、いくら豪邸だからって、自分の家から一歩も出ないで一生を終えるなんて考えられない話ですが、でも、実際には、「うちにいて、必要な物は何でも揃うんなら、わざわざ、出かけようなどと思わない」って人がいるのも事実。
 その代表が、2008年のアメリカ合衆国大統領選挙で共和党の副大統領候補となったアラスカ州知事ペイリン。前々年に初めてパスポートを取得したという話に、大丈夫か?と懸念されましたが、逆に言えば、アメリカは大国だし、州知事であっても、出なくても何も困らないから出る必要を感じない。これも、一面の事実なんですよね。
 その点、権力者でありながら、旅をして回ったのが三人。と言っても、必ずしも、気楽な観光旅行というわけでもなかったのは言うまでもないことで、古代ローマ帝国最盛期の皇帝・ハドリアヌスは辺境の地を皇帝自ら視察しているのに、首都を留守にし過ぎるという批判が巻き起こり、暗殺されそうになっていますし、中国最初の皇帝・秦の始皇帝に至っては、視察中にそのまま、帰らぬ人になっています。そして、日本の室町幕府三代将軍・足利義満の場合は、前二者と違い将軍にはなったものの、権力基盤はまだ確立しておらず、全国を観光旅行にかこつけて巡遊し、各地の大名の内情を探り頼りになる武将を物色していたというのが本当のところのようです。そう考えれば、やはり、気軽に出かけられる現代人は、権力者より幸せなのかもしれませんね。(小説家 池田平太郎)

(小説家 池田平太郎)2022-0

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