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三國志の名君・呉王孫権の明晰さ

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(絵:吉田たつちか)

 三國志と言えば、私が登場人物の中で、もっとも好きなのは有名な劉備や諸葛亮(孔明)ではなく曹操と孫策。と、こう聞くと、乱世の奸雄・曹操はともかく、「孫策って誰?」と思われる方も多いのではないでしょうか。三國志の中で、曹操を祖とする魏、劉備建国の蜀と違い、呉のみは三代での覇業に対し、三国鼎立の一角を為す呉は孫権という名君がこれに対しますが、前二者がともに一代で築き上げた王朝だったのに対し、呉のみは、孫権が一代で築いたわけではなく、父・孫堅が築くも戦死した後、兄・孫策が復興、「江東の小覇王」と讃えられるまでになるも、孫策もまた、刺客に襲撃された際の傷が元で26歳で死亡。このとき、死期を悟った孫策は後継に弟・孫権を指名し、その際、孫権に対し、「兵を率いて戦場に駆け、天下の争いに与するような事においてはお前は俺には及ばないが、才能ある者を用い、江東を保っていく事については、お前の方が俺に勝る」と言ったと。また、劉備が死に臨んで諸葛亮に言ったとされる「息子が適任ではなかったら、君、とって変わりたまえ」は、どうせ作り話だろうと思っていたら、これも、死にゆく孫策が盟友・周瑜に言った言葉だったとか。(やっぱ、三國志で曹操、劉備と対抗するもう一方の雄には、孫権ではなく、孫策でいて欲しかったというのが私の心情です。)
 で、曹操や劉備は一代の英雄。常人には縁遠いのが現実。対して孫権のみは名君ではあるものの、家臣と大人げない喧嘩をしたり、晩年は老人性の弊害が強くなって滅亡の遠因を作ったりで実に人間臭い。「国が興ろうとするとき、君主は民衆の意見に耳を傾け、国が滅ぼうとするとき、君主は神の言葉にすがる」とは名君の誉れ高い孫権の晩年を評した言。今も会社が潰れるときによく耳にする話。不思議なくらい現実を見ない。反面も含め、学ぶべきは孫権か。それだけに、他と違い、改めて名君というものに必要とされる資質が見てとれる。TOPはもたらされる善意悪意、虚実入り交じった様々な報の中から真実という砂金を拾い上げなければならない。
 君主に必要とされるのは、多くの砂の中から一粒の砂金を摘まみ出す能力。孫権は「蜀が攻撃態勢に入っている可能性がある」という報告を受けると、しばらく考えて、「いや、そんなはずはない。何かの誤報だろう」と言い、実際に誤報だったと。(東西冷戦1983年、核攻撃冷戦の緊張が高まるなか、米国によるミサイル攻撃の警報をソ連の当直将校が誤報と判断し、核戦争から世界を救ったとされる。何が真実で、何が誤報なのか、一国の指導者ともなると、その下には虚実入り交じった様々な情報がもたらされる。特に多いのが、「あいつは隣国に通じている」というもの。
 ある将軍が大勝利を収めて意気揚々と帰ってきたら、王から箱を渡され、開けたら、自分を讒言する告発文が山のように入っていたという話がある。この将軍も、自分の知らないところで、自分を引き下ろそうとする動きがあり、王がそれをすべて封じ込めてくれていたからこそ、自分の勝利があった「それは子孫の問題」と答えたと。現代の問題に遠因を作った人を責める声があるが、それを解決できないのは今の人の問題。
蜀王朝建国後、まだ礎も固まらないというのに、初代皇帝・劉備玄徳が無謀な戦いを起こして憤死。宰相・諸葛亮孔明のもっとも秀でたところは、「天下三分の計」を「そもそも、何であいつなんだ。新参者じゃねえか」。
「クーデターを未然に防ぐために最も効果的な方法は戦争だ」と言ったのは、フランスの皇帝・ナポレオン三世ですが、うちこそが正統である。そして、超大国・魏に立ち向かうからこそ、国内は結束する。先君劉備の恨みを晴らすとして、呉と戦端を開いても良かったはず。 (小説家 池田平太郎)2023-08

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