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江戸っ子はいかにお酒を楽しんだか?

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(絵:吉田たつちか)

 「京の着倒れ、大阪食い倒れ、江戸の飲み倒れ」という言葉があります。江戸時代になり平和になってくると、上質のお酒が京都や大阪など上方から運ばれてきます。これを「下りもの」といいました。
 一説によると取るに足らないものや、意味のないものを「くだらない」と言いますが「下らない」の語源は、灘など 上方で醸造された酒のうち、良い物は大消費地であった江戸へ 下るが、悪い物は主に当地で消費され「下らない」ことから、つまらない、できの悪い物を指し「くだらない」といったといいます。
 戦国時代が終わり江戸時代になると平和になり、物流も盛んになりましたから、江戸っ子たちは多いに飲酒を楽しみました。上方で生まれた清酒は諸白(もろはく)と呼ばれ江戸で大人気。まだ関東では清酒を作る技術が高くなかったのです。しかも船で揺られて江戸に下って来た清酒は樽から香りが溶けだして、味に丸みが出て、さらに美酒になっていました。するとそれを知った上方の人も、江戸に運んだ清酒の一部を上方に持って帰ります。このお酒は富士山を2度見たということで「富士見酒」と呼ばれて珍重されました。
 次に江戸時代の居酒屋について書きましょう。
 まず居酒屋が現れたのは江戸時代になってから。戦国時代以前にもそれらしきものはありましたが、居酒屋と言えるものは江戸時代の中期から。それも1657年の『明暦の大火(振り袖火事)』の後からです。明暦の大火は江戸城の天主を焼いてしまうほどの大火事だったのです。江戸幕府はそれ以降、天主を作りませんでした。幕府はそれよりも江戸の復興に力を注いだのです。火事の復興ですから、多くの大工など職人が江戸に流れてきました。そんな男たちの楽しみは、仕事が終わってキュッと一杯やることでした。
 それまでのお酒は、酒屋で買って家に持って帰って飲むというもので、独り者にはちょっと寂しいものでした。さらに客の中には家まで待てないなんて人も出てくる。そんな人は酒屋に「居たまま」飲んじゃう。ちなみに江戸っ子のお酒の飲み方は、夏でも冬でも基本熱燗です。すると同じように酒屋に「居たまま飲む」人が増えて来て、交流がうまれ友だちができる。また仕事帰りの空きっ腹です。ちょっとしたツマミなんかも欲しい。酒屋さんも、簡単な料理を出すようになる。これまで酒屋で酒を買って帰り、1人で飲んでいたのが、みんなとワイワイ楽しんで飲むスタイルに変化して『居酒屋』が誕生したのでした。
 テレビや映画で描かれる江戸時代の居酒屋は、テーブルがあり、樽などに座って飲み食いするスタイルが多いのですが、テーブルが現れるのは明治時代になってから。座敷に座るか床几(腰かけ台)に座り、横にお酒と料理を置いて、飲んだり食べたりしていました。座敷にちゃぶ台があるというのも嘘で、日本にちゃぶ台が普及するのは明治になってから。
 では江戸時代の居酒屋では、どんな料理が出ていたのか。
人気だったのは「芋の煮転がし」や「田楽」、この田楽は豆腐・コンニャク・大根などを串に刺して味噌をつけて焼くというもの。マグロとネギを塩と醤油で煮た「ネギマ鍋」も庶民に人気でした。江戸の町は、他の都市と比べて独身者や単身赴任の男性が多かったのです。そんな男たちは居酒屋に足を運んで、友だちとコミュニケーションを深めお酒を楽しんでいたのです。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)2023-09

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