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現実を直視しない東欧

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(絵:吉田たつちか)

 長年、丁々発止をやってきた西欧諸国の外交は、さすがと思わせるものがあります。また、その西欧と東のソビエト・ロシアの間に挟まれた北欧諸国の外交にも大いに学ぶものがあります。が、これが東欧諸国となると、同じ欧州かと思うくらいに疎く、その代表格がポーランド。ポーランドは16世紀から17世紀にかけては、欧州で面積も人口も最大の国でしたが、やがて衰え、18世紀にはプロイセン(ドイツ)、ロシア、オーストリアに三度も分割され、その後はフランスのナポレオンを頼り、一度は復活するも、ナポレオン敗北後は、四たび分割、またも、地図から消えます。で、次の復活が第一次世界大戦後。大戦により、ドイツ、ロシア、オーストリアの三大国が消滅したからで、この僥倖に対し、ポーランドはかつてのポーランド王国の夢よ、もう一度とばかり、領土拡張に乗り出します。
 まず、ロシア革命の混乱に揺れるソビエト連邦に戦争を仕掛けるも、逆に、猛反撃を受け、首府ワルシャワも危ない状況に。慌てた英仏の奔走により、どうにか、和平が結ばれますが、今度はそのどさくさに紛れて、リトアニアの首都を征服。(リトアニア人は首都の回復をポーランドと国際社会に訴えますが、ポーランドはこれを拒否。)さらに、チェコがドイツにズデーテン地方を割譲したと見るや、またもや、そのどさくさにチェコに侵入し、その一部を占領。その上さらに、ヒトラーからの旧領ダンツィヒの返還要請も撥ねつけます。
 渋沢栄一の孫で、文筆家としても有名だった市河晴子が、昭和初期に欧州を旅した時、ポーランドの評判は至る所でよくなかったそうで、『せっかく、弱い者びいきに独立を願ってやっていたら、時の拍子でいやに成金になって、それでまだダンチッヒを自国の物にしようの、南は黒海につき抜けたいのとわがままを云って、南のチェコ側も、北のリトアニア側も暴力で食い欠いてしまった。意地の汚い国だなと感じるのは、私の偏見だけではないとみえて、各地の外交官が皆「鼻つまみの国ですね」などと言う』と記しています。
 結果、ヒトラーの要求を蹴ったことから第二次世界大戦を誘発。東西からドイツとソ連の侵攻を受け、五たび分割、地図から消えます。のみならず、大戦により、首都ワルシャワは焼け野原となり、約600万人が死亡。(人口における死者の割合は欧州最大の約17.2%)。ポーランドは大戦後、一応、復活しますが、ソ連の影響下に置かれ、真の独立を果たすのはソ連崩壊後。苦渋の生き残り戦略を選択した北欧諸国とは、あまりに対照的な選択だったように思えてなりません。 (小説家 池田平太郎)2023-10

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